望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

消費税廃止と終末

 1990年の総選挙に立候補した真理党オウム真理教が結成した政党)は、消費税廃止を公約として大きく掲げていた。麻原彰晃が出馬した東京4区に当時住んでいたので、彼らの選挙パフォーマンスを数回見かけたが、オウム真理教について知識がなかったこともあり、その奇妙さだけが印象に残った。

 印象に残ったということは、宗教団体としての認知度を高め、関心を集める目的の立候補だったのなら奇妙な選挙パフォーマンスは効果的だった。当選を目指さずに、選挙はPRの場と割り切り、宗教団体の知名度を上げ、信者獲得に利用する戦略はありうる。

 しかし、麻原彰晃は自分が当選すると信じ込んでいたという。真理党から25人が立候補したが、麻原彰晃の1783票が最多得票という有様で全員落選した。それを国家権力による妨害と解釈、国家権力に対する敵対意識を強くし、凶暴性を加速させたと報じられている。

 当時、真理党の印刷物が郵便ポストに連日入っていて、その一つに漫画仕立てでオウム真理教の教義を解説した冊子があった。大要は「人類の終末が近づいているが、人類を救うには目覚めた者が増えることが必要。オウム真理教に入って修行して目覚めた者が増えることで、人類は救われる」といったものだった。

 読み終えて、人類の終末が近づいていると認識しているなら、なぜ選挙でそれを強く主張しないのかという疑問を感じた。人類の終末が近づいているのなら、消費税廃止なんかを訴えたところで意味がないだろう。あの冊子は、宗教団体としてのオウム真理教の主張に疑問を抱かせる効果はあった。

 消費税廃止を大きく掲げたのは、主権者の関心が高いテーマだからと集票を狙ったのだろうが、多くの野党も同様の主張をしていた。主張が埋没してしまっては選挙で少数政党、まして初めて選挙に参加した宗教団体の候補者が当選することは難しい。

 もし宗教団体としての認知度を高めるために総選挙に参加していたなら、消費税廃止を大きく掲げることよりも、人類の終末が近づいていると終末論で危機感を煽ることを優先しただろう。彼らが政治活動ではなく宗教活動に徹していたなら、麻原彰晃らの末路は違ったものになっていたかもしれない。