望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

忘れた頃にやって来る

 「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉がある。物理学者で随筆家の寺田寅彦が講演などで話していた言葉だという。災害に備えることの必要性を説いた警句として伝わっているが、現代ではメディアが「@@から10年。被災地はいま」などと頻繁に報じるので、数多い天災を忘れることは簡単ではなくなった。

 天災とは、地震・洪水・暴風雨・噴火などの自然現象によって起こる災害のことだが、梅雨前線の活発化による集中豪雨や台風による暴風雨は毎年、日本のどこかを襲っているし、マグニチュード(M)7クラスの地震は数年ごとに、M5、M6クラスの地震は日本のどこかで毎年起きている。「天災を忘れて暮らしたい」と思っても、そうはいかない。

 天災は甚大な被害をもたらす。人々の嘆き、苦しみ、無念さ、喪失感など被災の記憶は、メディアの発達もあり、被災地から遠い人々にも共有される。そうした被災の記憶は社会で毎年、上書きされ続けるので、現代では「天災は次から次と毎年やって来る」ものになった。

 「最悪のことは最悪のタイミングで起きる」という言葉もある。元々はジョークだというが、被災者にとっては、自然災害に巻き込まれた途端に状況は最悪へと一変するだろうから、結果的に「天災は最悪のタイミングで起きる」のかもしれない。

 人々の生活を破壊し、多くの命を奪い、社会を混乱させる天災は、平穏な日常に対する危機の最たるものである。危機には、戦乱など人為的にもたらされるものと自然災害がある。自然災害を人間が防ぐことは困難だから、予報の精度を高めることと、起きることを前提に即応体制を構築しておくことが危機管理の重点になる。

 しかし、もしものための即応体制の構築には限度がある。天災が発生する日時を特定することが不可能だから、国家予算などでの優先順位は低くなる。また、主要河川全ての堤防の整備には年月がかかるからと、大雨による氾濫を見越して河川の周辺の住宅建設を禁止することは地権者などの同意形成が簡単ではないだろう。

 即応体制の整備の遅れには、政治家や官僚の危機意識の希薄さが関係する。例えば、いつか必ず大地震に襲われるといわれる東京。人間や企業、学校などの集中を抑制、分散させつつ、災害発生時にも機能を失わないように都市インフラを整備することが必要だが、最優先で行われているようには見えない。「天災は忘れた頃にやって来る」というのは政治家や官僚に向けた警句だと解釈すると、現代に生きている言葉だ。