望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

侵攻か侵略か

 ウクライナに軍を進めたロシアの行動を報じるときにNHKは軍事侵攻という言葉を使用する。侵攻の意味を辞書で見ると、「敵地に侵入して攻めること」「他国や他の領地に攻め込むこと」「攻めて相手の領地に入りこむこと」などとある。侵入したり攻め込んだりする国家の組織は軍だから、軍事侵攻は「被害を被る」「犯罪を犯す」などと同じ重言だ。

 ウクライナに対するロシア軍の侵攻をロシアは特別軍事作戦と称し、ウクライナ東部のロシア系住民を救うための行動であり、国連憲章に基づく自衛権の発動だと強弁するが、国連の決議を得ていない自衛権の発動に正当性は乏しい。歴史を振り返ると、他国に攻め入る軍事行動の多くが「自衛のため」などと正当化されていた。

 NHKが軍事侵攻と報じて軍事を強調するのは何らかの意図に基づくのだろう。その意図の説明がないので、軍事侵攻という言葉の妥当性を判断することは困難だが、特別軍事作戦という言葉を使うロシアへの対抗なのかもしれない。あるいは、軍事を強調して平和主義を訴える意図が隠れているのかも。

 実態は変わらず同じままなのに、別の言葉に言い換えて実態をごまかしたり隠したりすることは昔から行われてきた。メディアが統制され、人々の自由な発言が制限される独裁的な強権国家の発表には真偽が入り混じり、どの言葉が実態を正確に示し、どの言葉がごまかしなのか、外部から判断するのは難しい。それは軍事関係に限らず、例えば、経済統計などの発表数字にも疑念がつきまとう。

 独裁的な強権国家が真偽定かならぬ発表を行うのは、そうした国家の言うことは常に「正しく」なければならないからだ。人々の自由選挙などによる正当性がないので、体制の正当性を主張するためには、常に正しくなければならない。それで、それぞれの体制における正しさを常に優先し、事実は二の次三の次になって軽視される。

 特別軍事作戦とは他国に居住するロシア系住民の保護を目的とする軍事行動ということだろうが、それが許容されるなら、同様の軍事行動を多くの国が行うことができる。血統による民族意識帰属意識を決定するなら、例えば、ロシア系住民が居住している国にとってロシア系住民の存在は危険であり、「ロシア系住民はロシアに帰れ」とロシア系住民を追い出す動きがロシアの周辺国で始まるだろう。

 今回の軍事行動はロシア軍によるウクライナ侵略だ。NHKは、軍事侵攻でもなく侵攻でもなく侵略とロシア軍の行動を報じるべきで、他のマスメディアも侵攻ではなく侵略と報じるべきだ。侵略という言葉を使うとロシアを刺激し、特派員の追放など報復されるかもしれないが、正確に実態を表現する言葉を使わないマスメディアは、権力のごまかしに加担していることになる。

センタク屋のシンちゃん

 こんなコラムを2006年に書いていました。


 全国洗濯屋連合会の会長に新たに就任した通称・シンちゃん、全国団体のトップを務めるには経験不足との声もあったが、前任のワンマン会長の覚えめでたく、その強い推薦もあったことから、すんなり第1回の投票で決まった。


 実は連合会は莫大な借金をかかえ財政は逼迫、借入金に頼っている状態だった。新会長のシンちゃんには何よりも財政健全化への意欲が必要なのだが、「まだ借金は出来る。金を引っ張って来ることが出来るのだから心配ない、心配ない」といった調子で、シンちゃんはむしろ、洗濯基本規約の改正への道筋をつけると力んだ。


 この洗濯基本規約は、家庭用洗濯機を発売した電機メーカー相手に連合会が販売中止を求め、受け入れられなかったところから各地の電器店に洗濯屋が押し掛け、中には電器店を破壊するところもあって、世論の批判を受けたところから制定されたもの。商売の利害に関わる事柄でも連合会は暴力を放棄し、話し合いで対応することを明記している。


 さて、シンちゃん、早くから後継候補の最有力とされ、本人もその気になったが、連合会の実務には興味が無く、ほとんど知らなかった。しかし、「会長になるからには、一応、方針みたいなものを出さないと格好悪いな」と何かをアピールする気になったが、自身の中から出て来る具体的なものはない。そこで親しい先輩に相談すると、「君のおじいさんは洗濯基本規約の制定に反対だった。いつでも実力行使できるからこそ、交渉力が増すと言っていた。君は、おじいさんの遺志を継いで洗濯基本規約の改正への道筋をつけるべきだ」。

 シンちゃんは、洗濯基本規約制定後に連合会の会長を務めた祖父の顔を思い浮かべ、「そうだ。おじいちゃんは洗濯基本規約なんて、ろくでもないと言っていたっけ。規約のせいで、コインランドリーが出現したときにも連合会は何も出来なかった」と振り返り、力を備えた「美しい洗濯屋」を目指して洗濯基本規約の改正を打ち出すことに決めた。


 ただ、洗濯基本規約改正だけでは現実味が薄いと考え、シンちゃんは連合会事務局に考えさせ、規制緩和・自由競争・競争原理重視も打ち出した。連合会の内部規定に、既存の洗濯屋から半径2キロ以内には新規出店を控えるというものがあった。それを自由化するという。「コインンランドリーも増え、後継者難もあって廃業するところも出てきている。内部で調整したって、外部から入ってこられて勝手なことをやられては、どうしようもない。実情に合わない規約は廃止すべきだ。そして、意欲のある人が洗濯屋を開業でき、連合会に参加できるようにしたい」とシンちゃんは新会長就任会見で述べた。


 シンちゃんは祖父から数えて3代目の洗濯屋である。2代目の父親が急死し、13年前に急に店を継ぐことになった。店は職人らが立派に運営しているのでシンちゃんは東京にいていいと言われ、地元にあまり帰らず、遺産はたっぷりあるので、気ままな生活を送り、開業の苦労も経営の苦労も経験したことがない。地元では大手の洗濯屋であるので、連合会の理事にも間もなく推薦された。


 新会長就任会見を見て古参の理事がつぶやいた。「自分は競争原理の働かないところで生きてきたくせに、他人には競争原理を押し付ける。二世、三世の奴らで、自力で自由競争を勝ち抜いてきた奴なんかいないだろう。スタートラインで大差があるから、ゴールから近いところでスタートした奴が勝つに決まっているさ」


ステータスシンボル?

アトム  「イスラエル核兵器保有が黙認され、インドの核兵器保有が容認される一方で、北朝鮮の核実験には国連が制裁決議を行った。どこが違うんだろう?」


ウラン  「アメリカとの親密度ね。アメリカの影響が及ぶ国の核兵器なら許容されるということかしら」


アトム  「それなら、アメリカべったりの政権の日本にも核兵器保有は許容されるということになりそうです」

秋葉原博士「日本の場合はどうかな。米軍基地が日本各地にあって、核兵器もどこかにあるかもしれず、日本が核兵器保有する必要はないというのがアメリカの考えだろう。それに、工業水準の高い日本が核兵器を作ると、アメリカより高性能のものを保有するようになるかもしれないから、アメリカは許さないかもしれない」


ウラン  「でも、日本の政治家が核兵器保有の議論をするべきだと言ったりするわ」

秋葉原博士「核兵器保有は、『戦後』否定の保守派共通の願望かもしれない」


アトム  「核兵器保有して日本は何をするのですか?」

秋葉原博士「誰もそこには触れない。隣が持つならウチも、って調子だ」


ウラン  「核兵器ってブランド品と同じみたい。ステータスシンボルってことかしら」


アトム  「核兵器は抑止力になるんですか?」

秋葉原博士「どの国も使うのをためらう間は核兵器は抑止力になるが、どこかが使うと、核兵器は攻撃兵器でしかなくなる。北朝鮮がどこかに向けて核兵器を使うと、即座に核兵器で反撃されるだろう」


ウラン  「日本が核兵器を持った場合、どこに向けるのかしら? 北朝鮮? 中国? それともアメリカ?」


アトム  「日本が独自に核武装するとアメリカとの関係は冷え込むだろうから、アメリカも標的の一つになるかもしれませんね。でも、そもそも日本が核武装することに何のメリットがあるのですか」

秋葉原博士「アメリカとの関係を壊してまでも日本が独自の核武装をすべきだと腹を決めている政治家はおるまい。北朝鮮をダシにして、自分の勇ましさをアピールしてみたいだけかもしれないな」


アトム  「核拡散が好ましくないという考えから包括的核実験禁止条約(CTBT)が96年に国連で採択されましたが、アメリカが批准しないので宙に浮いたままです。核不拡散条約(NPT)非加盟国が核兵器を持つと決意して行動すると、国際社会は無力です」


ウラン  「北朝鮮のケースが容認されると、世界中に核実験実施国が増えかねないわね」

秋葉原博士「問われているのは、核拡散についてどう考えるかということなんだ。それぞれの国の判断で核兵器保有してもいいと考えるのなら、日本の核兵器保有北朝鮮核兵器保有も認めるべきだろう。核兵器保有国を増やしてはいけないとするなら、北朝鮮核兵器保有も日本の核兵器保有も許されないと考えるだろう」


アトム  「日本は核兵器保有してもいいけれど、他の国の核兵器保有はいけないとするのは確かに矛盾ですね。でも、こんな調子で核兵器保有国が増えて行くと、いつか歴史は繰り返すのではないですか」

秋葉原博士「おそらくな。悲惨な殺し合いを人類は延々と繰り返し続けている。核兵器だけが二度と使われないと考える根拠はない」


日本人の密かな楽しみ

 世界的な日本食ブームだそうだ。特にスシが人気で、ヘルシー指向の欧米などでは日本食の代名詞のようになっているとか。中国でも日本食が受け入れられ、生食を嫌うはずの中国人がマグロの刺身を食べるようになり、そのあおりで世界市場でマグロの争奪戦になり、高値をつける中国バイヤーに日本商社が負けることも珍しくないという。


 日本食レストランが欧米に増え、中には、これが日本食?と日本人なら首を傾げたくなる料理を出す怪しげな店もあるとか。ブームを当て込んで参入しているのだろう。ただし、「よその国の奴らが勝手に日本食の名を使うのは許せない。日本食は日本人だけにしか作れない」などと考えるのは勘違い。例えば日本にも中華料理店は多いが、味は様々。美味しい店ばかりがあるはずもない。日本人シェフのフランス料理店、イタリア料理店だって多い。正統派であろうとなかろうと、美味しくてヘルシーな料理であれば、客は満足する。世界各地の日本食だって同じだ。


 日本食ブームとなると、スシやラーメンの次に世界で流行るのは何かと気にかかる。蕎麦屋は、味を納得してもらうのは欧米人にはハードルが高そうだ。蕎麦にクリームやらチーズ、ソース、ケチャップを掛けるわけにもいくまい。鰻屋はどうか。都内の鰻屋で欧米人を何度か見掛けたことがあった。甘いタレの店が増えていることもあって、欧米人にも馴染むことが容易かもしれない。でも、鰻屋が世界に広まると、鰻もマグロ同様に奪い合いになる。そうなると、ミナミマグロのように消費量の多い日本が批判され、シラスウナギの資源保護が強化されそう。鰻の蒲焼きぐらいは日本人だけの密かな楽しみにとどめておきたいものだ。


 日本食のほかマンガも日本発の文化として国際的に定着している。遡れば陶器や浮世絵、柔道、豆腐・醤油など欧米を始め世界に広まったものがある。文化は「特定の地域の人々にだけ共有されるもの」、文明は「地域を越えて広く多数の人々に共有されるもの」と定義すると、日本文化の中から、文明として世界の人々に共有されるものが増えているといえる。


 もちろん逆もあり、日本には中国や欧米から移入され根付いたものが多々ある。日本文化を世界の人々が受け入れるのは、日本人が洋服を着て、モーツアルトビートルズを聴き、ハリウッド映画やサッカーを楽しみ、麻婆豆腐やピザを食べ、ワインやウイスキーを飲むのと同じ。各国の文化が情報として世界で共有されるようになり、国境を越えた人々の移動も増大した。互いに影響し合う度合いは確実に高まっている。(世界各地でナショナリズムや偏狭な考え方の人々の動きが目立っているのは、文明が融合して世界化していることへの反動と見ることも出来よう)


より攻撃的になる

 民間人の処刑だと解釈できる事例などウクライナに侵攻したロシア軍の残虐行為が伝えられている。組織的に行われているのか兵士個々の判断による行為なのか定かではないが、戦争のおぞましさをリアルに伝える情報だ。今回のロシアのウクライナ侵攻は国連の無力さを明らかにしたが、戦時において国際法などが無力であることも示した。

 国際法の出番は、戦争終了後に国際法廷が設置されたときだろう(国際司法裁判所の選択条項受諾をロシアと中国と米仏は宣言していないので、提訴されても応じる義務はない。国際司法裁判所は3月16日、ロシアに対して直ちに軍事行動をやめるように暫定的な命令を出したが、戦争は続いている)。だが、ロシアが敗戦国とならない限り、そうした国際法廷の設置は困難だ。

 戦場において残虐行為は、第一に他国に侵攻した軍や兵士によることが多い。サキの短編だったか失念したが、王に命じられて対立相手の畑を荒らしに行く兵たちが途中でも関係のない畑を荒らしていくので、村人がとがめると兵は「向こうの畑を荒らすことに正当性はないのだから、どこの畑を荒らしても同じだ」などと返答し、途中の畑を荒らして行った。

 他国に侵攻した軍や兵士には、侵攻を正当化する相応の大義名分が国家から与えられる。例えば、その地の人々を圧政から解放するためだなどと信じて、出掛けてはみたものの現地で人々の強い反発や激しい抵抗などに直面して、軍や兵は戸惑う。大義が希薄な軍や兵ならば、侵攻先で、倫理観を失って規律が乱れ、民間人の殺害や略奪、婦女暴行などを行ったりする。そうした例は歴史上に珍しくない。

 戦場における残虐行為は、第二に侵攻された側で報復感情が高まり、裁判によらずに侵略軍の捕虜を処刑することだ(これは戦闘行為による殺害ではない)、第三に宗教や思想などに基づく戦争で、対立相手の壊滅を目指す場合に大量の殺害が行われたことも歴史上に珍しくない(宗教的感情や思想などにより共存が否定され、大量殺害が正当化される)。

 当初はウクライアを簡単に制圧できると想定し、すぐに首都キーウの確保を目指していたようなロシア軍の行動からは、ナチズム云々との大義名分で押し切るつもりだったとみえる。だが、ウクライナ軍の抵抗に遭ってロシア軍の行動は制約され、ナチズム云々との大義名分はウクライナ人にも国際的にも共有されず、ロシア軍は異国(ウクライナ)内で「招かれざる客」になった。

 大義名分は色褪せ、異国(ウクライナ)での軍事活動による成果を国家から厳しく要求されるロシア軍において兵らの士気が高まらず、規律が緩むことは想像に難くない。そうした軍や兵士が、より攻撃的になったり残虐行為を繰り広げたりすることも想像に難くない。侵略戦争を遂行する軍や兵において規律が乱れるのは、侵略行為が倫理性を伴わないからだ。

被害者は日本人

 こんなコラムを2006年に書いていました。

 管総務相NHK短波ラジオ国際放送に、北朝鮮による拉致問題を重点的に報道するように命じたという。既にテレビや新聞には命じてあり、命令から漏れていた小さなメディアがあったということで話題になっているのかと勘違いしてしまいそうだ。それほどテレビや新聞などでは拉致問題が大々的に扱われ、目にしない日はないような状況だ。例えば、横田夫妻がどこで誰と会った、どこで講演したなどとNHKも民放も「ニュース」の中で報じる。

 飲酒運転やイジメと自殺など、メディアは一点集中型の報道を行う。しかし、1、2カ月もすると次の話題に移っていく。拉致問題だけ、いつまでも大きく扱われるのは不自然でもある。「社会一般の関心が高い」からとメディア側は言うが、メディアが連日、拉致問題関係者の動向を報道してきたから世論が誘導された面も否定できまい。

 こんなにNHKや民放が拉致問題を大々的に連日取り上げているのに、政府はなぜ、拉致問題を取り上げるように命令を出したのか。そのポイントは国際放送というところにある。日本国内では拉致問題は、日本人が100%の被害者意識を持つことのできるテーマだ。日本人は被害者意識を強く発揮することができ、北朝鮮を100%悪だとして一方的に批判していればいい。

 ところが日本の外に出ると、大量死が珍しくない。当の北朝鮮では300万人が餓死したともされ、中国では大躍進、文化大革命で数千万人、カンボジアでも300万人が死んだとされる。ルワンダでも大量殺人があり、欧州ではボスニア戦争で数十万が死んだとされる。南米の独裁政権下では数万人が行方不明にされ、イラクイラク人の死者数は明らかにされていないが、数万単位であることは間違いない。

 世界は非人道的行為で満ちている。被害者意識を自分の主張を正当化する根拠にしようとすると、日本人の拉致問題と同等かそれ以上の悲惨な被害者が世界各地にいて、アフガニスタンイラクダルフールなどでは日々新しい悲惨な被害者が生み出されている。

 そうした世界の人々に、北朝鮮に拉致された日本人の被害者意識に共感しろといっても無理だ。日本人が世界各地の、例えば、政治的な行方不明者の問題解決に積極的に関わってきたというならともかく、世界の行方不明者の問題に無関心でいたのに、日本人が被害者になったときだけ「世界の皆さん、関心を持ってください」と呼び掛けても効果はあるまい。

 日本人拉致問題を被害者意識をベースに情緒的に言い募ってみたところで、国際的には聞き流されるだけだ。政治権力による一般人の人権侵害・人道問題として世界の人々と連帯する方向で問題提起しなければ、日本人拉致問題への世界の共感も広がるまい。日本国内で「成功」したように、拉致問題の持続的報道により時の政権への支持を高められるという「成果」は国際放送には期待できまい。

タウンミーティングより住民投票

 かつて行われていた日本政府主催のタウンミーティング(TM)では、会場からの質問の多くがヤラセだった。国会の論戦で、はぐらかしや論点すり替えなど、まともに答えないことが多い政府が、TMでだけ態度を変えて真摯な議論が行われるはずもなかった。

 当時の小泉内閣が政府主導で2001年6月からTMを開催するようになった。国会が機能していないから、主権者が要求して「我らの声を聞け」とTMが開かれるようになったわけではない。もともとTMはアメリカの自治体で住民参加型の政策決定会議として行われていた。直接民主主義の1方法である。それを、日本では政府主催で導入したのは、議員を選挙で選出して国会を形成して国政を任すという間接民主主義を軽んじるものであろう。

 といって、直接民主主義小泉政権が指向していたわけではないことはヤラセの実態によって明らかだし、TM参加者によると「いくら手を挙げていても司会者から指名されない人も多かった」ともされ、自由な議論の場ではTMはなかった。TMは、人々の声を閣僚ら政府サイドが直接聞くというポーズを見せるためのアリバイづくりの役目だったのかもしれない。

 TMは広告代理店が請け負い、その契約で冒頭発言の依頼者に謝礼として5000円を支払うことになっていた。大臣がいる会場で、会場からの質問を募ったらシーンとするばかり…となることを恐れて、謝礼付きの冒頭質問が容認された。これを政府は「問題ない」とするが、たとえ問題がないとしても、相当にみっともない「恥ずべき行為」であった。

 人々の声を直接聞くと謳う集会で、政府があらかじめ特定の人物に質問を依頼し、謝礼まで払う。中には、政府の人間が質問内容を指示し、当日の会場で、あらかじめ決められた人物を選んで発言させ、「予定外」の質問者を制限する。これを民主主義の実践ととらえる人々は海外にどれだけいるのだろうか。

 政府主催で大金をばらまいてTMを行うくらいなら、テーマごとに住民投票国民投票を行うほうが「民意」は明確になる。国会の機能低下を補う民主主義的方法は、それしかない。