望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

欧州内で建国

 欧州においてユダヤ人は11世紀頃までキリスト教社会の中で異教徒として共存していたが、11世紀末の十字軍時代以降にユダヤ人に対する迫害が始まった。1096年にドイツでユダヤ人に対する襲撃事件が起き、各国で反ユダヤ人暴動が発生、虐殺もあった。大火や内乱、疫病の流行などがあるとユダヤ人が関係していると攻撃の口実にされた(世界史の窓HP)。

 13〜14世紀には欧州各国で、ユダヤ人は異教徒だとして激しい迫害が行われ、集団的な虐殺(ポグロム)も行われた。英仏やスペインではユダヤ人の国外追放や一定の居住地(ゲットー)への強制移住が行われ、14世紀の黒死病の大流行時には、社会不安の高まりもあってユダヤ人に対する迫害が最も広範囲で激しく行われ、60の大ユダヤ人集団と150の小集団が絶滅した(同)。

 16世紀の宗教改革でルターはユダヤ人がルター派に改宗しなかったので失望し、ユダヤ人を憎悪するようになり、プロテスタントの領主にユダヤ人を追放するよう要請した。カトリック教会はユダヤ人取り締まりを再開、ユダヤ教徒25人を火あぶりで処刑したほか、ゲットーに隔離し、ユダヤ人に差別バッチを付けることを強要した。カトリック圏でのユダヤ人迫害は19世紀中頃まで続いた(同)。

 18世紀に欧州で啓蒙思想が普及し、19世紀までにゲットーや宗教裁判は否定されてユダヤ人は解放された。しかし、帝国主義の時代になってナショナリズムが高まり、偏狭な人種主義が強まり、格好な攻撃目標とされたのがユダヤ人で反ユダヤ主義が広まって、ロシアや仏などで激しい迫害が行われた。一方、反ユダヤ主義に対する反発からシオニズム運動が盛んになった(同)。

 シオニズムとは、ユダヤ人が祖先の地とみなすシオン(エルサレム付近の名。現在のパレスチナ)を約束の地とし、戻って建国しようという運動で、ユダヤ人が欧州で生きることへの失望から出てきた。ユダヤ教ユダヤ人という「民族」意識に支えられたシオニズムは19世紀後半に誕生し、1917年に英国がバルフォア宣言で支持した。1920年以降、ユダヤ人の入植(移住)が推進されたが、パレスチナシオニスト機関がアラブ住民の土地没収などを行い、アラブ住民との対立は激化した。

 反ユダヤ主義が蔓延した欧州にユダヤ人の居場所はないという状況から勢いを得たシオニズムは、欧州におけるユダヤ人と他の人々との共生を諦める思想でもある。ユダヤ人に対する迫害を繰り返してきた欧州の人々にとって、欧州からのユダヤ人排除にシオニズムは好都合だった。その結果として現在のパレスチナの状況がある。

 もし、イスラエルが欧州内で建国されていれば、現在のパレスチナの悲劇はなかった。1945年に戦勝国ホロコーストの責任として敗戦後のドイツを3分割し、その一つをユダヤ人の国としていれば欧州の多くのユダヤ人が集まり、現在のイスラエルとは全く異なる国になっていただろう。ただし、年月とともにドイツにおいて国土回復運動が勢いを得て、ユダヤ人の国と対立が起きた可能性はある。