望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

気のせいだよ

 ファンに高い人気がある競輪選手の佐藤慎太郎氏は1976年11月生まれの46歳。大方の競輪選手は40代に入ると全盛期を過ぎて徐々に力が衰えるものだが、佐藤氏は40代になってからグランプリで優勝し、その年の賞金王になり、以降もS級S班を続けるなど活躍している(S級S班は、2300人以上在籍する競輪選手のトップ9人に限られる)。

 ぶつかり合いが激しかった競輪はかつて「走る格闘技」とも称されたが、現在はスピード重視のプロスポーツへと変貌しつつある。とはいえ、ゴール前での選手同士の押し合いや頭突きなどが消えたわけではなく、格闘技的な要素は残っている。相手選手を落車させずに、上手に牽制して抜かせないのがベテランのマーク屋(ラインの先頭を走る選手の後ろを走る選手のこと)の技の見せ所で、佐藤氏は指折りのマーク屋だ。

 その佐藤氏がインタビューなどで締めの言葉として言うのが「限界? 気のせいだよ!」だ。40代後半になってもトップ選手を続ける佐藤氏だから、この言葉は説得力があり、競輪ファンにはすっかりお馴染みのフレーズとなった。この言葉と佐藤慎太郎氏のイラストを配したTシャツも販売されていて、人気だという。

 特筆すべき実績がなく、日々の行動にも元気を感じさせず、老けたなと見られる身のこなしが目につくようになってきた人が「限界? 気のせいだよ!」と言っても、あまり説得力はないだろう。その人が「限界? 気のせいだよ!」と思っていたとしても、それは当人の主観に過ぎず、「限界がそろそろ見えてくるんじゃない?」などと周囲からは見られたりする。
 
 当人に元気が十分ある時の主観主義は、時には効果的であるが、時には傍迷惑にもなる。効果的になるのは、その主観に妥当性があって説得力があり、主観による施策が現実によく対応できている時だろう。だが、その主観に妥当性が乏しく説得力が希薄で、主観による独りよがりの施策と現実との齟齬が目立つのにゴリ押しされたりすると、周囲は迷惑する。

 傍迷惑な主観主義は「敗北? 気のせいだよ!」などと負けを認めず、負けを認めないから敗北の分析も真摯に行わず、精神主義に堕し、「劣勢? 気のせいだよ!」などと猪突猛進して、当座は局面を打開したりするが、やがて重なった無理が限界に達する。「現実の分析は理性で、行動方針は主観で」を実践する人なら強い指導者になれるかもしれないが、主観が偏る可能性がある。

 「限界? 気のせいだよ!」は気力を奮い立たせる効果がある言葉で、きつい日々のトレーニングの中で何度も佐藤氏はこの言葉を己に言い聞かせているのだろう。限界は競輪選手ならば自分で決めるが、組織においては他人の評価によって決まったりする。降格させられたり、閑職に追いやられたりしても人には意地とプライドがある。「まだまだやれる」と気力を奮い立たせるには「限界? 気のせいだよ!」は心強い言葉だろう。