こんなコラムを2005年に書いていました。
中国も日本も互いに反感を強めあう方向へ動いている。その拠り所にしているのが、それぞれの民族意識と被害者意識だ。これは両国の人々にとって不幸である。
「豊かになれる者から豊かになれ」とする今の中国では階級意識を強調することはできず、共産党独裁の根拠を対日抗戦の勝利者であることに求める。同時に、侵略の被害者であったことを中国民族意識にすり込ませる。日本軍が中国大陸から去った後も香港で植民地支配を続けてきたイギリスに対しては、中国人の民族意識は作動しない。中国共産党は条約の期限切れまで、植民地・香港に手を出せなかったからである。
日本においては、日本を標的に暴徒化した中国各地のデモの映像が繰り返し流され、「今回、先に手を出したのは中国人だ」との被害者意識が醸成される。
双方とも被害者意識をベースにしているだけに、日中政府はともに相手の出方(謝罪)待ち。バンドンで小泉首相が村山談話を再表明したことを中国政府は謝罪と解釈して、国内のデモを抑えにかかり、今回の反日ムーブメントを収拾させる構えだ。
宮崎滔天という人物がいた。孫文らを援助し、辛亥革命後には中国に渡り運動にも参加した。一時、浪花節語りになったこともあるユニークな人で、「三十三年の夢」という自伝がある。宮崎滔天は、アジアを植民地にしようという欧米列強に対抗し、アジアを解放するためには、まず中国が自立して強くなることを優先するべきだと考え行動した。宮崎滔天1人ではない。多くの日本人が孫文らを支援した。
日中がいがみ合っているのを欧米は高みの見物だろう。日中がスクラムを組んだなら、世界経済の中心は東アジアになる。アジアの状況はこの100年ですっかり変わり、欧米に対して過剰な意識を持たなくてもいいところまで来たが、日中の反目が固定化するのは欧米にとっては好都合だ。
情報網や交通網が世界規模で発達した現在、アジア人意識を強いて持つ必要はないし、ましてや一つの民族意識の中に閉じこもる必要もない。ただ個々の人間が自由で尊重されて生きるという理想的な社会のあり方には、おそらく民族の別も人種の別もないだろう。つまり問題意識を持ちながら、被害者意識や民族意識を捨てたところで、現代の孫文や宮崎滔天が見えて来る。