こんなコラムを2005年に書いていました。
日本国憲法への批判の一つに、占領軍(アメリカ)からの押しつけだというのがあります。実際に、草案を占領軍(アメリカ)が書き、日本側の保守的な案を押し切って採択させたといわれ、草案にはアメリカの影響が強いことは確かです。まあ、憲法は日本の議会が議決して成立させたのですから、「押し付けられた」などといつまでも言うのは日本人としての自己責任を回避した女々しい振る舞いにも見えます。
ところで自主憲法制定などと気張っている連中は、最近のアメリカからの牛肉輸入再開圧力には、さぞ悲憤慷慨しているのだろうと見ていたら、静かなままです。街宣車が「日本の自主独立を貫け」「アメリカ牛肉の押し付け反対」などと走り回ることもないようです。
アメリカは日本の全頭検査を「科学的ではない」などと批判します。ではアメリカでどのような“科学的”検査が行われているかというと、行われてはいません。「歩き方がおかしい」などと目で見て判断できる牛を排除しているだけです。
アメリカでは全頭検査が不可能だという現実もあります。毎年、二千万頭以上の牛が解体されていますので、全頭検査はおろか、生後20カ月以上に限定したところで、全米で検査体制を構築するまでには時間がかかり、費用もかかります。アメリカ政府にとって、全米の畜産業者と日本政府のどちらが手強いか。その答えが「押しつけ牛肉」です。
もう一つ、日本向けだけに全頭検査を行うと、全米の消費者が黙っていないでしょう。「日本向けだけには安全性を担保して、アメリカ国民には“灰色”牛肉を押し付けるのか」などと不満が噴出しかねません。
「拒否できない日本」(関岡英之著、文春新書)を読むと、アメリカが日本に様々なものを押し付けていることが判ります。規制緩和だの構造改革だのともてはやされているものの多くが、「シナリオ・バイ・アメリカ」のようです。アメリカの言うなりに動いてきた日本政府が、久しぶりに、アメリカの意向に逆らったのがアメリカ産牛肉の輸入停止であり、「飼い犬に歯向かわれた」とアメリカが強硬になるのも、なるほど、そういうカラクリかと見えて来ます。
押しつけ牛肉ならば、日本の消費者は選択できます。圧力に負け日本政府が腰砕けになったところで、消費者は産地表示をよく見て、アメリカ産を買わなければいいだけです。アメリカ産牛肉輸入再開の暁には、日本のマスコミは牛丼復活ともてはやすでしょうが、スポンサー配慮のそんなマスコミの牛丼ヨイショにだまされては、BSE汚染牛肉を食べてクロイツ・フェルトヤコブ病になるのも自己責任だとなりましょう。