望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

円とドルが統合


 20XX年、日本のような「失われた20年」は回避できると楽観していたアメリカは、次から次と表面化する不良債権の処理に手間取り、莫大な財政赤字をこしらえて不良債権の処理にはメドをつけたものの、製造業などはガタガタになり、米国債の大量消化に不安が出て、ドル急落の懸念が現実化していた。日本では輸出産業で企業倒産が相次ぎ、こちらもガタガタになっていた。



 そんな両国が通貨統合に動いた。円とドルを統合して共通通貨を創設、太平洋から名付け、名称を「パシ」とし、その下の補助単位を「フィック」とした。2国でスタートしたが、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドも参加を希望しているという。



 通貨統合の枠組みは「ユーロ」にならったが、政府累積債務など独自に制定した基準もある。太平洋中央銀行を米カリフォルニアに置き、両国の基本的な金融政策を統一させたが、ユーロに比べて参加国(日米)の裁量度合いが大きく、共通通貨を持つ緩やかな連合といった趣でスタートした。



 「ユーロにならってアジアでも共通通貨を」との声が日本では以前からあったが、アジア諸国と日本では経済規模の差が大きすぎ、急速に経済成長した中国と日本では政治体制など価値観の違いが大きすぎ、日本はアジアで通貨統合の相手を見つけることができなかった。



 話を持ちかけたのは日本側だったという。急速な円高により輸出関連の大手企業が倒産した影響が大きく、かといって、日本国内の内需には過大すぎる輸出企業の生産能力を、内需に会わせてムリに縮小させると雇用が減少する。輸出を急には減らせないし、でも新興国市場がすぐに米欧市場並みになるわけでもない。



 米欧を主にしつつ新興国に市場を広げながら輸出を続けて行かなくてはならないが、不安定要素をできるだけ排除したい……そこで「為替リスクをなくすには、どうすればいいか」と考えて出た結論が、円とドルの統合だったというわけ。



 アメリカ側と極秘裏に話を進め、大筋が固まったところで最大の難問に直面した。円とドルの統合話を察知したアメリカ側の一部が、「ドルと統合するなら、円よりもユーロのほうがいい」と横やりを入れてきたのだ。この時点でマスコミに漏れ、両国政府は共通通貨創設計画をすべて明らかにして、世論の批判を待つことにした。



 日米ともに、自国内産業保護の観点から様々な団体が反対を表明したが、各国政府による個別補償制度を残すことなどで円・ドル統合は支持を得た。また、金融危機以来、ユーロ圏が低迷を脱することができない状況が、ドル・ユーロ統合論への支持を弱めた。



 こうして、円とドルの統合がなり、日米が共通通貨を持つことになったのだが、世界に不安定要因をひとつ残した。それは、世界各地で、米政府のコントロールを離れて流通しているドル紙幣。やがて、それらがパシに置き換わるのか、ユーロに置き換わるのか、それともドルのまま流通し続けるのか。政府の力が弱い地域で、通貨として何が選択されるか不透明だ。