望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

木彫の熊

 国内旅行のお土産は現在では、各地の菓子など食品が人気上位を占めている。食べてしまうと無くなるので「消えもの」であり、旅行の思い出は家族などで一緒に食べるときの会話に現れるだけだ。土産物屋で売っている民芸品などは旅行の思い出を呼び起こす記念品だが、旅行に行かなかった人が土産にもらっても旅行の記憶が喚起されるわけではない。

 海外旅行に大量の日本人が出掛けるようになり、国内でも各地に人々が頻繁に旅行に出掛けるようになり、旅行は日常的な行為と化して特別な行動であるとの非日常感は希薄になった。お土産に菓子などが好まれるのも旅行の非日常感が薄れたことと関係があるだろう。それに、民芸品などを旅行のたびに買っていては家庭内の設置スペースはすぐに埋まってしまう。

 民芸品などが土産物屋から消えたわけではない。東北各地のこけし会津赤べこ、高崎のだるま、信楽焼のたぬきなどが各地で売られているのは、旅行の記念品としての需要があるからだろう。一方で、すっかり見かけなくなったのが北海道土産の代表格だった、鮭をくわえた木彫の熊だ。半世紀前ころは各地の土産物屋に大小様々な大きさの木彫の熊が並べられていた。

 北海道は今も人気観光地だが、半世紀前ころの観光ブームでは全国から観光客が集まり、木彫の熊が土産物として大量に売れ、全国の家庭のテレビの上や玄関などに木彫の熊が置かれているとも言われたそうだ。機械による大量生産も行われていたそうだが、大量に出回りすぎたためか次第に土産物屋から姿を消した。

 現在でも木彫りの熊を販売している店舗はあるが、作家による作品として販売されているものが多いそうで、作家の個性を発揮した様々な造形の木彫作品であるから価格も相応に高いとか。写実に徹したものから抽象的な表現のものまで多彩な熊が造形されるそうだが、四つん這いで鮭をくわえた姿の熊では作家の個性を発揮しにくいかもしれないな。

 土産ものには流行り廃りがあり、横長の三角形で地名や寺社名などが書かれた「ペナント」は姿を消し、「通行手形」「ちょうちん」もあまり見かけなくなった。地名などを見ることで旅行の思い出を喚起する記念品はもうウケなくなったのだろう。旅行に行くことが特別な体験ではなくなったから、記念品の地名を見て旅行を思い出すより菓子などを食べるほうが好まれる。

 さらにスマホの普及で、旅行の思い出は各人のスマホに記録される。景勝地だけではなく旅行中のスナップ写真も大量に撮影されているだろうから、民芸品を旅の記念品として持ち帰る意味も薄れたか。とはいえ、鮭をくわえた木彫りの熊を欲しがる人がいなくなったわけではない。ネット上では中古品の取引が行われているというから、木彫りの熊は昔を懐かしむアイテムになったのかもしれない。