望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ある死刑論

 ある友人は若い頃に大逆事件を知ってから、死刑制度に反対する考えを持つようになったという。政府が社会主義運動を弾圧するために24人に死刑判決を下し、12人を恩赦により減刑する一方、幸徳秋水ら12人の死刑を執行して社会から完全に排除した大逆事件。国家(政府)が政治的な目的で死刑制度を都合よく利用することは、日本を含む世界各国で行われてきた。

 現在の日本では、大逆事件と同じような「でっち上げ」による死刑が行われることはないと友人は考える。だが戦後も自白の強要や証拠品の捏造・隠蔽などが珍しくない中で死刑判決が出され、後日、冤罪だと判明した事例も少なくないのだから、死刑という制度は放棄すべきだと友人は主張し、冤罪や誤審で死刑になる人が存在する確率は残っているのだから、死刑制度には問題が多いとする。

 その友人が、限定的な死刑制度の容認に考えを変えたのは宅間守の存在だった。2001年6月、大阪の教育大付属池田小学校に宅間守が侵入し、包丁で8人の児童を殺害、13人の児童と教諭2人に重軽傷を負わせた。裁判で宅間守は、殺害された児童の保護者に罵声を浴びせたり、最終意見陳述で「幼稚園ならもっと殺せた」などと話し、反省の態度は示さず、謝罪の言葉はなかったという。

 宅間守に同情すべきところはある。家族に君臨して暴力を振るう父親と育児放棄の母親との家庭で育ったという宅間守は小学生の頃から粗暴で問題行動を繰り返し、十数回の逮捕歴があり、少年刑務所で服役したり措置入院させられた。「虐げられて」育った宅間守が攻撃性を強めたのは自己防御の反応とも解釈でき、粗暴な父親を無意識に真似て育ったのかもしれないし、裁判での言動は一種の自殺願望の現れとも解釈できる。

 だが、無差別殺傷という犯行を正当化する理由はこの世に存在しないとする友人がおののいたのは、当時38歳の宅間守が小学校に侵入して児童8人を殺害、13人を負傷させたことだ。宅間守に比べ圧倒的な弱者の児童を次々と包丁で襲った行為には、弁解の余地は全くないと友人は判断し、極刑はやむを得ないと考えを変えた。

 死刑がなければ宅間守無期懲役になっていただろう。懲役が続くうちに宅間守が反省し、謝罪するようになる可能性はあるが、その反省や謝罪にどんな価値があるのかと友人は疑問を持つ。本当に宅間守が反省し、謝罪したところで、宅間守が犯した児童の無差別殺傷を、なかったことにはできない。死んだ子供は甦らないし、負傷した子供の精神的な傷が癒されるわけではない。

 死刑制度には問題が多いとの考えを変えていない友人は、①無差別な複数人の殺人、②計画的な殺人ーに限って実行犯に対して死刑判決も容認するとした。そうした殺人には実行を考え直す時間は十分あり、あえて行った殺人行為は当人の強い意思によるものであるから、その判断には相応の重い責任が生じると友人は考える。