望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

選挙運動としての議会

 二つか三つの政党が議員数で拮抗していて、選挙の結果で政権交代がよく起きる状況なら、変化する民意をよく反映しているといえるだろう。それは、政党も政治家も主権者の判断で“取り替え”可能になっている状況であり、「実績」を主権者に示し続けなければ選挙で勝てないだろうから、政党や政治家にとっては気を抜くことができない状況でもある。

 「実績」をつくるために政党は、選挙で勝つか与党と連立して政策決定に関与することが必要となる。政権に関与しない野党は、次の選挙での政権交代を目指して、別の選択肢(政策)を主権者に示し続ける必要がある。その別の選択肢とは、具体的な形でなければ政権交代後にすぐに政策化できない。つまり、政権を担う気があれば政党は、政権批判を具体的な政策選択の争いとして行うだろう。

 政権を担う気がない政党はないはずだが、現実には議会に少人数の弱小野党がある。「実績」をつくるためには、与党と連立したり、法案によっては閣外協力して影響力を行使することが必要だが、そうした「実績」は示されない。代わりに、声高に反対を唱えて“抵抗”したのが「実績」だとしているような印象を与えたりする。

 政策決定に影響力を行使できない少人数の弱小野党の存在意味は、現実的に考えると、全くない。権力は批判されなければならないし、暴走することがないように常に監視されなければならない。ただ、政党の権力批判(政権批判)は、いつでも自らが政権を担うという選択肢を常に主権者に提示する形で行うべきで、マスコミなどの権力批判と五十歩百歩の政権批判では、政党としての責任放棄であろう。

 毎年の国会では必ず、与野党が対立する重要法案がある。それが防衛問題に絡んでいたりすると与野党の国会論戦はヒートアップし、マスコミは大々的に取り上げる。野党側が「平和が脅かされる」とか「民主主義の危機だ」などと言い立て、政権側は「平和や民主主義を維持するための法案だ」などと反論する。口先だけなら、どんな政党も政治家も民主主義や平和を擁護する。

 不思議なのは、法案成立後に野党の反対論が急速にしぼむことだ。民主主義の危機であったり、平和が脅かされ戦争につながる法案だというのが真実なら、そうした法を改正・廃止するために野党が次に行うことは、選挙で勝って政権を担うことだ。しかし、野党は次の対決法案への反対に忙しく、一度成立した「問題」法案はそのままになる。

 重要法案に対する別の選択肢(法案)を提示しない野党は、政権を担う準備ができていない。だから、その時々の重要法案に反対する姿をアピールすることが「実績」だと勘違いする。民主主義や平和などを持ち出して大声で政権に反対してみせるが、法案成立を本気で阻止する気もなく、ただ議会に存在しているだけだ。

 こうした状況は毎年繰り返され、政策決定に関与しない弱小野党が存在し続ける。弱小野党の議会における活動は、選挙運動なのかもしれない。ただし、過半数をとって政権を担うことを目指す選挙運動ではなく、政党を維持し、政治家を続けるための選挙運動。反対を言い立て激しく政権を批判して目立つことは弱小政党の効果的な選挙戦術なのかもしれないが、立法機関としての議会の機能を損ねている。

 弱小野党の存在は、主権者の多様な意見の反映だとする見方がある。しかし、弱小野党には政権を担う気がないので、多様な意見は政策に反映されず、そうした状況に不満を持つため多様な意見は存在し続ける。それで弱小野党が議席を得ているのだとすると、批判だけを声高に続けるのは、弱小野党が議席を得るために不可欠の選挙戦術である。