望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

趣味は革命

 「俺の趣味は、革命だ」と言う友人がいる。といっても友人は、過激なセクトに加わっていたことはなく、世界のどこかで民族解放軍などに加わっていたこともなく、孤独なゲリラとして国内で活動していたわけでもない。銃はもちろん火炎瓶さえ手に持ったことがないと言う。

 友人のやったことといえば、様々な世界の民族解放闘争に関する文章や歴史書などを読むことだけで、合法的な政治活動にさえ関わったことがないという。某大企業に長く務め、役員にはなれなかったものの相応の地位には上った友人は、「体制派」として見られる存在だろう。

 そんな友人が「趣味は革命」と言うのは、革命を肯定し、革命に関する知識を深めることを楽しんでいるからだ。革命といっても共産革命は否定する。ソ連や中国が理想視されていた半世紀前には友人も共産革命に親近感を持ったこともあったが、革命後に誕生したのが全体主義的な体制であることを知り、幻滅した。「人民蜂起は支持するが、独裁はダメだ」と友人。

 友人が肯定する革命は、フランス革命などのように、王権支配など特定層が権力を専有する体制を覆し、人民主権を実現した革命だ。多くの人々の血が流れたことではフランス革命などと共産革命は同じだが、権力を専有する支配層が入れ替わっただけの共産革命と、民主主義につながったフランス革命などとの違いは大きい。

 「革命と一絡げにして否定するから日本では、民主主義が上滑りして色褪せる」と友人。独裁政治につながった共産革命は否定すべきだが、フランス革命などを肯定しなければ人民主権の根拠がなくなる。

 民主主義につながった革命を肯定する友人は、「本気で政権を目指していない」日本の野党政治家に厳しい。革命の精神とは、自ら責任を負うことだとし、政治家や政党は政策を実現するため選挙で勝利して政権を担うことを最優先するべきだろうが、「彼らは激しい政権批判で存在感を出して自己満足している」だけだとする。

 「趣味は革命だと言うと、たいていの人は警戒する」と友人。「民主主義を愛するから、革命を肯定する」と説明しても、「革命」の言葉に拒否反応を示す人は珍しくないそうだ。「民主主義の定義が曖昧なままの人が多いから、革命の意義を説いても理解してもらえない」と言う友人に、同好の人はまだ現れないそうだ。