望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

権威主義

 中国やロシアなど権威主義国家が欧米主導の国際秩序に服さず、対抗心をあらわにして動く世界になった。権威主義とは、「政治的な権力が一部の指導者に集中する体制。大統領や首相などが形式的に選挙で選ばれていても実態は独裁的な場合も含む」とか「支配関係を価値の優越者 (上級者) と下級者との縦の関係において構成する秩序原理および行動様式」「権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてに権力者が思考・行動し、権威に対して人々が盲目的に服従する様式」などとされる。

 中国が世界2位の経済大国になり、ロシアが原油天然ガスの欧州などへの輸出で国力を蓄えたことで中露は欧米と「対等」になることができた。中露が欧米主導の国際秩序に服さなくなった光景は、成り上がった金持ちが横柄な態度・振る舞いを隠さなくなったようにも見える。中露とも欧米とは異なる文化的伝統を有するので、強まった自己主張を正当化する材料には事欠かない。

 「王様は裸だ」と指摘した子供の声で大人たちも現実に見える光景を受け入れるようになったとの寓話があるが、欧米主導の国際秩序が欧米に都合のいい建前であると中露は堂々と主張し、欧米とは異なる秩序形成にも存在意義があるという現実に目を向けさせた。それは、欧米に追随するだけではなく、自己主張する重要さと誘惑を多くの国々に広めたかもしれない。

 権威主義の弱点は、権威を有するとされる指導者に権力が集中することで、周囲には指導者に盲従したり同調する人々が集まることだ。指導者の誤った判断や感情に影響されて偏った判断などを周囲が是正できなければ国の針路が揺らいだりする。それに個人には寿命があり、属人的な要素に影響されると権力継承が不安定化する。権威主義の弱点と個人独裁の弱点は重なり合う。

 権威主義国と欧米など民主主義国の対立が明確化し、世界は分断が深まるとともに不安定化したと見えるが、不安定であった実態が可視化されただけだ。諸国は、自国の利益を最優先に動くことと欧米主導の国際秩序を利用することを都合よく使い分けていただけだ。

 欧米の影響力が後退し、欧米の権威が失墜したことで、後発の中露の影響力が目立つようになり、民主主義の体裁で実態は独裁権力でも大国になることができると中露は実証してみせた。権威主義国の個人独裁は脆さを内包するが、不安定さが露呈した世界状況において、国家意思の決定の素早さなど議会の影が薄い権威主義国の優位さが浮かび上がったりする。

 権威主義国と民主主義国の対立は長く続いていくだろうが、権威主義の最大の弱点は権威に対する人々の賞賛や追従を獲得し続けなければならないことと、批判者や抵抗者らを強権で社会から排除し続けなければならないことだ。それは、権威主義国でも潜在的な国家主権は人々が有していることを示している。

記録と表現

 写真を撮ることは誰にでもできる日常の行為となった。その昔には、カメラは高価で写真を撮ることが特技であった時代があり、映像データのデジタル化ができず、写真を撮るにはフィルムカメラが必要だった頃には、写真を撮ることは家族などの思い出を残すための行為であったりした。

 デジタルカメラが登場したのは1980年代で、カメラ機能が搭載された携帯電話が発売されたのは1999〜2000年だった。携帯電話で写真を撮り、それをメールで送ることが手軽にできるようになって、写真を撮るという行為は特別なものではなくなった。スマートフォンではカメラ機能の高度化が進み、どこでも誰でもスマホを手にして写真を撮り、SNSなどに掲載することが世界的にも一般化した。

 こうしたスマホなどで撮った写真の大半は「記録」としての写真であり、背景に余計なものが写り込んでいることも珍しくなく、傾いていたり、シャッタータイミングが悪いこともよくある(手ブレはカメラ機能で修正されたりするようになった)。それらは笑って済まされ、家族や友人、自分や旅行先の風景などを写すことが目的だから、被写対象を中央に配置した写真が大量に出現した。

 一方で、構図や色彩などに工夫した「表現」としての写真がある。こちらはプロが撮るものとされるが、スマホでも撮影可能だからアマチュアでも撮ることができる。高画質の写真を撮ることも可能になったスマホの多彩な機能を使いこなして、単に人物や風景を写すのではなく、狙った「表現」に仕上げ、さらには手軽に簡単な修正や加工も施したりして、自分の作品に仕立てる。

 「表現」としての写真を撮る代表的な写真家に森山大道氏がいる。森山氏の写真は、例えば、新宿をテーマにしたものであっても、そこに表現されているのは、どこの街で撮ったといっても通用しそうな写真だ。渋谷でも池袋でも銀座でも六本木でも、更には世界のどこかの街で撮ったと言われても納得しそうな写真となる。それは森山氏の「表現」として自立している写真だ。

 「記録」としての写真を撮る代表的な写真家は戦場写真家だ。どこで何が起きているのかを現地に行って写すのが報道写真家だが、危険が伴う現場にも行く人は多くはいないだろう。だが、戦地や紛争地などで何が起きているのかを映像として伝えるためにはカメラを持った誰かが行く必要がある。戦場で撮影された写真は写真家の周辺で起きたことを写したもので戦争の全体像ではないが、そうして撮影された写真などで人々はその戦争のイメージをつくり上げる。

 戦場を写した写真は「記録」だが、戦争の悲惨さや惨さ、巻き込まれた人々の苦悩などを「表現」した写真でもある。戦場では構図や色彩や表現法などに工夫する余地はないだろうから写真家の意図による「表現」ではない。「記録」が同時に「表現」になる写真は、伝える情報量が圧倒的で見る人々の感情を揺さぶる場合に限られる。

情報と付加価値

 昨年、一般紙とスポーツ紙を合わせた発行部数が合計2859万486部となり、3000万部を割り込んだ(2023年10月現在。新聞協会調べ)。前年の3084万部6631部から225万6145部も減り、減少幅は過去最大の前年比7.3%減だった。2000年には5370万8831部だったので、44.9%減とほぼ半減した。

 一般紙の発行部数は2022年に2869万4915部ですでに3000万部を割っていたが、昨年は2667万4129部で前年比7.0%減と減少に歯止めがかからない。スポーツ紙は前年比10.9%減の191万6357部と200万部を割った。2000年に630万7162部を発行していたので、ほぼ3分の1にまで減少し、「紙の新聞離れ」がスポーツ紙でも顕著であることを示した。

 2000年には4741万9905世帯で1世帯当たり部数は1.13部だったが、2008年に0.98部と1部を割り、昨年は0.49部で0.5部を割った。昨年の世帯数は5849万3428と2000年に比べ世帯数は1千万以上増えているのだが、それが宅配部数の増加に結びつかず、紙の新聞に対する需要は減り続けている。

 国内における需要が減少し続けている状況に直面した企業は、製造業や小売業などなら海外市場の開拓に取り組むだろうが、英語マーケットに出て行って欧米勢と勝負できる新聞社は日本にはないだろう。それに、世界でも紙の新聞の需要が減少していることを考えると、国内で生き残り策を考えるしかない。

 紙の新聞には、一般紙なら国内外の出来事を伝える記事を中心に解説記事や論評、生活に役立つ記事、寄稿など多種多様な文章がびっしり掲載されている。1面から社会面まで一通り見るだけで時間を要するが、それが情報獲得の窓口であった時代は過去のものになった。自分が欲する情報だけをスマホなどでいつでも得ることができる時代に、紙の新聞による情報提供には付加価値が求められる。

 その付加価値を新聞社は、調査報道や記事の論評・解説を充実させたり、生活情報を増やすことなどに求めるが、そもそも紙の新聞を手に取ってもらえなければ、どんなに充実した紙面を作っても人々に伝わらない。縮小する需要に合わせて新聞社が生き延びていくためには、インターネットの世界で地歩を固めるしかないが、低い収益性に阻まれて斬新な情報提供サイトを構築できないでいるのが現状だ。

 ※新聞協会の発表によると、減少幅が最も大きいのは大阪で9.8%減。次いで近畿(9.6%減)、東京(8.4%減)、九州(8.3%減)と続き、北海道は7.4%減、四国7.3%減、関東6.8%減。中部は6.6%減、中国6.5%減、沖縄4.8%減、北陸4.7%減、東北4.5%減。

自然災害とEV

 1月中旬から全米を寒波が襲い、カナダ国境沿いのモンタナ州では過去最低のマイナス45度を記録、比較的温暖な西部や南部でも氷点下の気温となり、インディアナ州で積雪が約1mに達し、フロリダ州でも降雪があった。全米で凍結による交通事故が多発し、空港の滑走路面の凍結により大量のフライト欠航や遅延が続くなど交通網の混乱が広がった。凍死や交通事故などで80人以上が死亡したという。

 この寒波で話題になったのが、シカゴ市外のEV充電所で立ち往生するEVが多発したことだ。低温のためにバッテリー充電が正常に機能せず、充電に時間が長くかかるとともに、電力を要する暖房を使えなくなったので、レッカー車でけん引されるテスラ車が相次いだと報じられた。「極端な気象条件における電気自動車のぜい弱性を浮き彫りにした」とロイター通信。

 テスラの充電施設「スーパーチャージャー」でEVを接続しても充電できない問題が発生したのは、「氷点下ではバッテリーの正極と負極の化学反応が遅くなり、充電が困難になる」「バッテリーで駆動するEVを非常に寒い環境で作動させるのはかなり難しい。寒くなるとバッテリーを急速充電することができないが、物理的に解決できる方法はない」と専門家の解説。

 EV普及率が高い北欧ノルウェーでは所有者のほぼ9割が自宅に充電設備を備えるほか、全国に充電所を増やすなどEVインフラ整備を進めている。米では寒波の中、「スーパーチャージャー」には多くのテスラ車が集まり、充電器に接続するために数時間待たされ、接続できてバッテリーが機能したとしても時間がかかる状況だった。

 EVは充電が切れると動かない。大きな地震が起きると停電になる。停電した被災地で充電が切れたEVは暖房を使えないので季節によっては車中泊にも使えまい。集中豪雨や台風などの自然災害でも架線の切断により地域的に停電することがある。自然災害が多い日本でEVへの転換を進めると、そのツケはEV所有者に回ってくる。

 自然災害は世界各地でも多発しているとともにEVの普及を国策として推進している国も多いので、自然災害に弱いEVの事例がこれから増えそうだ。気候変動論によると今後、気候の不安定さは増加しそうなので強い寒波に襲われる地域が世界で増えるかもしれない。環境に良いというEVの実用面での弱点についての検証が低調だが、それは欧州などの政府が強引に進める気候変動論の邪魔になるためかなどと邪推したくなる。

 米コンシューマー・リポート誌は、米国内の33万台以上のデータから「EVはガソリン車よりも問題が79%多い」「EVはまだ主力車種としては発展途上だ」とし、テスラは車体や塗装や内装などに問題を抱え、他メーカーのEVは駆動装置やバッテリー、充電の問題の発生率が高かったとした。EVトラックでは被災地に救援物質を届けることは簡単ではないだろう。気候変動で異常気象が増えるのなら、信頼できる移動手段が存在し続けることは重要だ。

群れるから無力に

 「衆を頼む」とは、多くの人数を集めて数の力で要求を実現させたりすることだ。人々によるデモや署名集めなども多数による要求行動だが、「衆を頼む」は数の力で圧力をかけたり強引に何かを実現させたりする人々の行為を批判的に見るときに使われる言葉だ。選挙などで制度化されている多数派の行動に対して「衆を頼む」の言葉は使われない。

 衆を頼むのは、個人ではできないことを数の圧力で強引に通そうとするからだ。個人は非力だが、そうした個人が多数集まると何とかできるようになる…かもしれず、多人数による圧力の効果を期待する。非力な個人の力を1とすると、非力な個人が15人集まると力は15になり、個人で10の力を持つ人をも圧倒できるとの発想だ。

 衆を頼むのは、「衆寡敵せず」と多数が少数を圧倒するから群れて多数を形成するのだろうし、「衆知を集める」と多数が集まれば何か優れた見解や知恵、策略などが出てくると期待するからかもしれないが、イワシがいくら群れてもマグロなど大型魚に襲われて喰われる。「 大功を成す者は衆に謀らず」とは、大きな事業を成し遂げる人物は周囲の意見を聞いたり相談したりせず自分の判断によって事を行うことだが、そういう人物は群れたりしないだろう。

 派閥とは、出身・縁故・信条・利害・政治的な主張などで結びついた人々が形成する私的な小集団のことで、政治的な派閥は権力を集団で私的に把握することを目指す。自民党内の派閥が裏金づくりの温床になっていたことが明らかになり、政治資金だとされる裏金の使途は不明で、私的に使われていた疑いも浮上し、複数の派閥が解散を表明せざるを得なくなった。

 自民党内の派閥に属する議員から、派閥は政策集団だとの主張も聞こえるが、各派閥の政策にどれほどの違いがあるのか具体的には示されない。自民党内の派閥は党の総裁選のための人数集めを目的に形成され、有力政治家とそれに従属する「子分」から成り立ち、閣僚ポストや役職、資金などの配分を行う。「子分」を立派な人材に育てるためにも機能しているとの主張もあるが、その当否は不明だ。

 「人は無力だから群れるのではない。群れるから無力なのだ」とは竹中労さんの言葉で、「組織を持たぬということは、孤立することではない」、団結の神話に決別して「自由かつ平等な個々人に解体を遂げよ」「メダカやイワシのようには群れるな」などのメッセージも残した(『ルポライター事始』)。「人は弱いから群れるのではない 群れるから弱くなるのだ」は寺山修司の言葉。

 なぜ自民党の議員は群れるのか。選挙で当選するために地盤(後援会)・看板(肩書きや知名度)・鞄(資金力)が必要とされ、派閥に属することが選挙に有利だからだろうが、大臣や首相を目指さず単独で選挙を闘うことができるなら、派閥に属さずとも政治活動を行うことができよう。原稿なしで20分間、自分の政策をぶっつけ本番で演説するほどの力量がなく、原稿無しのガチでの政治討論に臨む能力もない議員なら、どこかの派閥に属するしかないかな。

8000万人

 日本の人口が減少に転じ、国内市場が縮小するため企業の売り上げは減るなど経済活動の停滞が予想され、インフラ整備や年金、社会保障などの社会システムの維持にも支障をきたし、人口減少が先行する地方では消滅する自治体が相次ぐなどと騒がれ始めて久しい。だが、想定される縮小する日本に対する有効な即効性がある対策は希薄な気配だ。

 昨年末に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「日本の地域別将来推計人口」では、①11県で2020年比で2050年の人口が30%以上減少する、②25道県では2050年に65歳以上人口割合が40%を超える、③2050年の人口が2020年の半数未満となる市区町村は約20%に達する、④2050年には65歳以上人口が総人口の半数以上を占める市区町村が30%を超え、2050年の65歳以上人口が2020年を下回る市区町村は約70%に達する、④2050年の0〜14歳人口は99%の市区町村で2020年を下回るーとした。

 2050年の人口は東京都を除いた全ての道府県が2020年を下回り、2050年の人口が2020年より減少する市区町村数は1651(政令指定都市を1市としてカウントした1728市区町村数の95.5%)。うち0〜3割減少するのが605(同35.0%)、3〜5割減少が705(同40.8%)、5割以上減少が341(同19.7%)とする。 65歳以上人口割合が各地で増える一方、2020年比で2050年の0〜14歳人口が減少する市区町村数は1711(同99.0%)とほぼ全国だ。

 民間の人口戦略会議は1月、長期の人口戦略などをまとめた提言書を公表した。2100年に8000万人で人口が定常化することを目標に、人口減少の流れを変えることや、現在より小さい人口規模でも多様性に富んだ成長力のある社会を構築する戦略などを提案した。人口減少のスピードを緩和させ、最終的に人口を安定させることを目標とする定常化戦略では、合計特殊出生率2.07を2060年に達成するとし、そのために▽若者の雇用改善▽女性の就労促進▽総合的な子育て支援制度の構築―などを行うべきとした。

 現在より小さい人口規模でも多様性に富んだ成長力のある社会を構築する強靭化戦略では、生産性の低い産業の改革や人への投資の強化が重要だとし、▽人への投資の強化▽人口減少地域で医療・介護、交通・物流、エネルギー、教育などのサービスの質的強靭化と持続性向上▽日本での活躍が世界での活躍に直結するようなイノベーション環境の整備ーなどを論点として挙げた。

 報道によると、人口戦略会議議長の三村明夫氏は「政府も民間も危機意識を十分持っていなかった。2100年までに『これ以上減らない』という人口状況が必要だ。人口減少のスピードをとめるのが我々の責任だ」とし、副議長の増田寛也氏は「この数字が達成できなければ社会保障などは完全に破綻する。地域のインフラの維持も難しくなり、様々な場面で選択肢が狭められる社会になっていく」と述べた。

 「このままでは悪い状況になる」との悲観的な将来予測は珍しいものではないが、具体的かつ強制的な対策に結びついた代表例は気候変動をめぐる世界的な動きだ。一方、日本の人口減少については、過去の「産めよ増やせよ」政策の反省もあってか、子供を産むのは個人が決めることとの原則に国策として介入はできず、子育て環境を整備するとともに子育て世代の収入増を図るなどの対策に限られよう。

 合計特殊出生率は2.00を下回った1975年(昭50)以降、低下傾向が続いている。人口は敗戦後に急増して1950年(昭25)に8400万人、1967年(昭42)に1億人を超えたが、減少傾向に転じた。人口減少の一方、日本の国家財政は膨張に歯止めがかからず、赤字国債頼みの状態が続いている。2100年に8000万人で人口が定常化したとしても、赤字国債頼みの財政が維持できているのか。未来に責任を持たない日本の政治の貧困が見えている。

豊かな奴隷のパラドクス

 近現代において初めて、市民的な自由を伴わずに、専制支配下で総じて人々が豊かになったのが中国だ。中世のころの中国は産業が発展して栄えていて、当時の中国は欧州よりも経済が発展していたとされる。だが、その後は停滞が長く続き、自力での産業革命はなされず、自由を求める人々による市民革命もなかった。

 中世において王侯貴族の支配下で繁栄した国はあったが、支配下にある大多数の人々が豊かであったとはいえない。だが人々は支配されて貧しいままに置かれることに不満を持ち、やがてフランス革命などにつながり、社会を改革して社会の主人が人々である体制を実現した。それが自由な経済活動を刺激し、経済の発展につながった国もある。

 王侯貴族の専制支配を覆して主権を人々が確保した近現代では、「経済は資本主義、政治は民主主義」に移行した欧州の国々がまず繁栄した。ドイツや日本など全体主義専制支配の国々は争いに敗れて、「経済は資本主義、政治は民主主義」へと移行した。近現代において多くの人々が豊かさを享受したのは「経済は資本主義、政治は民主主義」体制の諸国であった。

 個人の自由と豊かさを実現したのが、民主主義であり資本主義であった。国家の主権者となった人々が、自由を求めることを保証するシステムが民主主義であり、人権が保証されて個人が自由を求めることが確保された。また、資本主義的な自由のなかで個人が豊かさを求めることが社会的に制度化された。

 現代の中国は国家統制の手綱を維持しながら資本主義経済に移行して、外国資本の投資を呼び込み、最新の技術も外国から導入し、膨大な低賃金労働者を活用して産業を発展させ、世界的な輸出基地となり、目覚ましい経済発展を遂げた。総じて国民は豊かになったが、国内での貧富の格差は相当あると言われる(これは欧米諸国も同様なので、制約を少なくすると資本主義は強者の総取りに向かうのだろう)。

 総じて人々が豊かになった中国では個人の自由は制限されている。自由を求める人々が存在することは、厳しい統制にもかかわらず時折伝えられる人々の抗議行動から察することができるが、それが改革につながることはなく、封じ込められる。中国社会の主人を政府(=共産党)とすると、人々は豊かになった奴隷とも映る。自由を求めない奴隷というパラドクスは豊かさに担保される。

 資本主義と民主主義が近代国家の基本という西欧由来の国家観を中国は覆した。豊かさがあれば人々は自由が制限されても、おとなしく政府に従うのであれば、民主主義は必要ではなく、「政治は専制支配、経済は資本主義」でいいとなる。個人が自由と豊かさを求め、それを制度として保証するという西欧型の近代国家像を中国は打ち砕いた。経済発展が遅れていて民主主義が定着していない国々にとっては中国型の発展モデルは現実的なものと映るだろう。