望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

群れるから無力に

 「衆を頼む」とは、多くの人数を集めて数の力で要求を実現させたりすることだ。人々によるデモや署名集めなども多数による要求行動だが、「衆を頼む」は数の力で圧力をかけたり強引に何かを実現させたりする人々の行為を批判的に見るときに使われる言葉だ。選挙などで制度化されている多数派の行動に対して「衆を頼む」の言葉は使われない。

 衆を頼むのは、個人ではできないことを数の圧力で強引に通そうとするからだ。個人は非力だが、そうした個人が多数集まると何とかできるようになる…かもしれず、多人数による圧力の効果を期待する。非力な個人の力を1とすると、非力な個人が15人集まると力は15になり、個人で10の力を持つ人をも圧倒できるとの発想だ。

 衆を頼むのは、「衆寡敵せず」と多数が少数を圧倒するから群れて多数を形成するのだろうし、「衆知を集める」と多数が集まれば何か優れた見解や知恵、策略などが出てくると期待するからかもしれないが、イワシがいくら群れてもマグロなど大型魚に襲われて喰われる。「 大功を成す者は衆に謀らず」とは、大きな事業を成し遂げる人物は周囲の意見を聞いたり相談したりせず自分の判断によって事を行うことだが、そういう人物は群れたりしないだろう。

 派閥とは、出身・縁故・信条・利害・政治的な主張などで結びついた人々が形成する私的な小集団のことで、政治的な派閥は権力を集団で私的に把握することを目指す。自民党内の派閥が裏金づくりの温床になっていたことが明らかになり、政治資金だとされる裏金の使途は不明で、私的に使われていた疑いも浮上し、複数の派閥が解散を表明せざるを得なくなった。

 自民党内の派閥に属する議員から、派閥は政策集団だとの主張も聞こえるが、各派閥の政策にどれほどの違いがあるのか具体的には示されない。自民党内の派閥は党の総裁選のための人数集めを目的に形成され、有力政治家とそれに従属する「子分」から成り立ち、閣僚ポストや役職、資金などの配分を行う。「子分」を立派な人材に育てるためにも機能しているとの主張もあるが、その当否は不明だ。

 「人は無力だから群れるのではない。群れるから無力なのだ」とは竹中労さんの言葉で、「組織を持たぬということは、孤立することではない」、団結の神話に決別して「自由かつ平等な個々人に解体を遂げよ」「メダカやイワシのようには群れるな」などのメッセージも残した(『ルポライター事始』)。「人は弱いから群れるのではない 群れるから弱くなるのだ」は寺山修司の言葉。

 なぜ自民党の議員は群れるのか。選挙で当選するために地盤(後援会)・看板(肩書きや知名度)・鞄(資金力)が必要とされ、派閥に属することが選挙に有利だからだろうが、大臣や首相を目指さず単独で選挙を闘うことができるなら、派閥に属さずとも政治活動を行うことができよう。原稿なしで20分間、自分の政策をぶっつけ本番で演説するほどの力量がなく、原稿無しのガチでの政治討論に臨む能力もない議員なら、どこかの派閥に属するしかないかな。