一昔前には、政治家の能力が概して低い日本は優秀な官僚によって支えられているとの主張があった。霞が関の中央官庁で働く官僚が「日本を動かしている」とのイメージだが、そうしたイメージが崩れたのは政治家や政党などによる度重なる官僚バッシングと、主権者の審判を経ていない官僚の専制は主権在民に反するとの批判の影響だろう。
その霞が関で働く官僚の勤務実態が“ブラック”であると報じられる。超過勤務の上限を超えた職員の割合は9.9%と全体の1割を占め、過労死ラインとされる100時間以上/月の残業をした職員は約5500人と報じられ、離職者が大幅に増えているという(2022年度に官僚を辞めた人は約6000人で、2015年度比で約1.4倍に増えた)。こうした勤務実態が明らかになって官僚試験の応募者は減っている。
官僚の勤務実態が激務になったのは、①国家公務員数の過剰な削減(以前は約80万人だったが、約28万人に減少。仕事量は増えている)、②国会での審議で議員の質問に対する大臣答弁を官僚が作成する(審議の前夜に質問を官僚が把握し、大臣答弁を官僚が時には深夜までかかって作成する)ーためだ。②については、自分で答弁できない大臣は官僚にとって意のままに操ることができて好都合だろうが、官僚の身に負担として降りかかっている。
官僚の人々が誠実に働くことで日本の行政が機能していることは確かだろう。優秀で国や社会のために使命感をもって働く人々が官僚として相当数存在することは、日本の国力を維持するためには必要だろうから、“ブラック”な勤務実態を改善し、これからも優秀な若手が官僚を有望な就職先として認識することが必要だ。
そのためには①国家公務員の過剰な削減から、適正数の人員確保に方向転換する、②大臣答弁を官僚が作成することをやめるーしかない。②は大臣側が答弁を作成できるのかという現実的な問題を生じさせるが、国会議員には政策秘書がいて、国費で給与が支払われているのだから、政策秘書に頑張ってもらうしかない。なお、大臣答弁を官僚が作成しなくなれば官僚の大臣に対する影響力は低下するだろう。
根本にある問題は、答弁する側が議員からの質問を前もって知るという現行ルールにある。野党議員による爆弾質問で大臣が立ち往生することを避けるために現行ルールができたようだが、ガチでの政策論議をなくし、大臣らがペーパーを読み上げるだけの国会審議にしてしまった。真摯な政策論議を求める声は以前からあるが、質問内容を事前に知らなければ答弁できない人々が大臣を務めている間は現行ルールの廃棄は難しい。
米国の大統領選では候補者が自己の主張を人々に向かって演説で示し、説得して支持を得ようとし、テレビ討論会などでは議論する能力を試される。米国や欧州諸国の議会でどのような審議が行われているのか詳らかではないが、日本のように答弁する側が事前に質問を入手して、あらかじめ用意させた答弁を読み上げるというような議会の空洞化は起きていないのではないかと感じる。そうした行為は議会での質疑を軽んじるアンフェアな行為だからだ。
霞が関の官僚の働き方改革は、国会の質疑の現行ルールの変更に踏み込まなければ実効性が薄いだろう。政治家は現行ルールを変えようとしないだろうから、優秀な官僚が黙って“ブラック”な勤務に耐え続けている限り現状は変わらない。優秀な官僚が実は自分たちの“ブラック”な勤務実態を改革することもできないのだとすると、既得権益に縛られて改革が進まない日本の現状を反映していると見えてくる。