望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

感染するもの

 新型コロナウイルスに感染していても無症状の人が相当多く、全米では感染例の4割になり、症状が出る前の人がウイルスをうつすケースは感染例の半数を占める(米疾病対策センター=CDC=の推計)。誰が感染させているのか分からず、感染がどう広がっているのかが見えないのだから、感染拡大の状況を正確に把握することは困難で、感染拡大を制御することなど現状では望むべくもない。

 感染していても無症状の人は、よほど不安に駆られるか陰性証明入手などの必要がない限り積極的にPCR検査を受けに行かないだろう。だから、PCR検査の対象を拡大して無症状の人を検査すると感染者を見つけ出して数がどんどん増える。無症状の感染者を見つけ出すことが感染拡大の制御につながるならいいのだが、社会から膨大な無症状の感染者を見つけ出して隔離するだけなら医療崩壊につながりかねない。

 発症前の人が最もウイルスを拡散しているとの見方もあるが、それをデータで示すのは簡単ではあるまい。発症前の人や無症状の人を日常生活で人々が見分けることは困難なので、感染を恐れるなら自分を含めて誰をも感染者だとみなして防御策を講じるしかない。誰が感染させているのか分からないが確かに存在するウイルスに人々は怯えている。

 目に見えないが確かに存在するウイルスや細菌。人々は症状が出て初めて感染を知るが、感染するものは他にもある。何かに影響されて染まるという意味でも感染という言葉は使われる。何かの主義や主張に感化された人が急に強硬な意見を言い始めたり、異論を批判しまっくたりなどと変化が現れると、感染したらしいと周囲の人に見えてくる。

 「かぶれてる」などと揶揄されたりするのは、主義や主張がまだ学習段階で自分の身についていない=自分の考えになりきっていないからだ。こちらの感染も、軽症で終わることもあれば時には重症化する。感染が短期間に終われば、当人は憑き物が落ちたかのように主義や主張を持ち出すことはなくなる。一方、主義や主張を自己の思想とすることができた人は活動家にうっかり変身したりする。

 ただし、何かに影響されて染まるという意味の感染は、体制や時流の価値観に従順に積極的に従う人に対しては使われない。「あいつは政府方針に感染した」「あいつは社長の考えに感染した」「あいつは時代の流れに感染した」などと感染の言葉を使って揶揄されることは少ない。安定した生活を脅かすものに取りつかれた場合にのみ感染という言葉を使うのは、ウイルスも主義・主張の感染も共通する。

 主義や主張に感染しても無症状の人はいる。主義や主張の正しさを認め、しかし、自らの意見としては表面に出さないから、側からは感染が分からない。こちらの感染は当人の思考に根を下ろし、以後の思考に影響を与える。こうした様々な感染を多くの人は取り込みながら、生きていく。何にも感染していない人はいない。