感染拡大を抑止するため世界で人々は「対人距離(ソーシャル・ディスタンシング)を確保せよ」と要請されている。感染者であるかもしれない他人の吐いた息を空気と一緒に吸い込むことを避けるためで、商店などでの間隔を開けた行列や劇場などで観客がバラバラに座る光景はもう珍しくはなくなった。
間隔を開けてバラバラになることを好む国家も増えてきた。間隔を開ける対象は他国であり、協調よりも自国の主張を貫くことを選ぶ国家は、各国からの批判をものともしない。グーローバリズムが喧伝され、FTAで各国が経済的な結びつきを強め、EUなどのように国家を超える連合体が影響力を拡大し、国家の存在が希薄になったかと見えたが、簡単には国家は強権を手放さない。
協調より自己主張を優先することは国家にとって当然だ。協調したほうが自国の利益になる場合にのみ協調が選択されるはずだが、国家の利益は様々あり、経済的利益が政治的利益より重視されることがグローバリズムの名の下で横行した。国家が政治的利益を優先させるようになったのは、各国が十分に豊かになり、自己主張を我慢して得られる協調する利益が相対的に小さくなったことも関係している。
米国は自国第一主義で行動し、英国はEUを離脱し、中国は世界の分割支配を目指す動きを強め、トルコはEU加盟を諦めてイスラム強国としての再興に動き、ロシアは周辺国への干渉を強めながら反欧米の立ち位置を維持するなど、自己主張を優先する国家が続出している。グローバリズムが後退し、他国との政治的な協調を探る動きの価値が下がったかと錯覚させる世界になった。
グローバリズムは巨大資本にとって好都合な仕組みだった。個別国家は巨大資本を制御できなくなり、巨大資本にとって国境の制約はほぼなくなり、個別国家の存在感は薄れるばかりだった。利益を求めて世界を動き回る巨大資本に対して人々は無力であり、巨大資本に制約を課すことができるのは国家しかないが、今のところ、自己主張を強める国家は巨大資本に立ち向かう姿勢は見せない。
自己主張を強める国家はいずれも個性的な指導者を擁する。独裁者と揶揄されるほど強権を振るったり、ポピュリストと批判されたりと様々だが、自己主張を強める国家の復活に指導者の強い個性が関係していることは確かそうだ。中国を除く各国には有権者の審判があるので、対外的な存在感を強めることで国内における矛盾から有権者の目を逸らさせる計算もあるだろう。
親密になるほど対人距離は小さくなるのが自然だった人々が、他人との間隔を開けるのはウイルス感染を恐れるからだ。自己主張を強めた国家が他国との間隔を開けるのは、孤立をも辞さずとの態度に見える。「(国際的な)連帯を求めて孤立を恐れず」ではなく「孤立を求めて連帯を恐れず」への転換か。政治的なグローバル化の実態が脆いものであったことを、自己主張を強めた国家の続出は物語っている。