望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





資本主義の死

 


 ソ連が解体して消え、中国は国家資本主義とでもいうべき経済に移行している。小さな独裁国家は残っているものの、経済システムとしての共産主義は歴史的には終わったと言ってもいいだろう。グローバリズムの波は世界を覆い、資本主義のシステムで世界経済は覆われたように見えるが、資本主義にも終わりがあるのだろうか。



 資本主義の死期が近づいていると断言するのが水野和夫氏だ。資本主義は、先進国などの「中心」がフロンティア(「周辺」)を広げて、投資から利潤を得るシステムだが、地理的・物的空間からも電子・金融空間からも利潤を得ることが困難になって、資本が自己増殖できなくなって資本主義が終わりに近づきつつあるとする。



 終わりといっても、ソ連からロシアに移行したように数年、十数年で切り替わるわけではない。世界中で様々な利害や力が錯綜しながら、資本主義は100年単位の時間をかけて変質しつつ、次の経済システムに移行する。ただし、資本主義の次に控えるのがどのような経済システムなのかは、世界的な模索の中から生まれてくるものであり、その姿はまだ誰にも見えない。



 資本主義の終わりの始まりとは何か。水野氏の著書「資本主義の終焉と歴史の危機」では、資本主義の限界を、資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなってしまうこととする。実物経済で稼ぐことができなくなると投資家や資本家は金融で稼ごうとするが、マネーが群がりすぎてバブルを生じさせ、バブルはやがて破裂する。これを繰り返していくという。



 国家と資本の利害が一致していた資本主義が維持できなくなると、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義へと変貌する。それがグローバリゼーションであるが、グローバリゼーションとはまた、「中心」と「周辺」の組み替え作業でもある。



 従来は「中心」が先進国、その他の国が「周辺」だったが、グローバリゼーションにより、「中心」は富裕層、それ以外の人々が「周辺」となり、先進国内では中産階級の解体により格差拡大が進み、新興国では経済成長と格差拡大が並行して進む。グローバリゼーションは資本と労働の分配構造を破壊し、国家の内側にも「中心」「周辺」を生み出していく。



 歴史的に資本主義は世界の全ての人々を豊かにする仕組みではなく、豊かになれるのは地球の全人口の15%ほどだった。その15%に相当するのは、以前は先進国の人々だったが、グローバリゼーションにより解体され、世界の富裕層がその15%になる。



 これらは水野氏の論の一部だが、他にも刺激的な分析・見解が多々ある。世界に溢れるマネーは実体経済規模の数倍にも膨張して動き回るが、1国資本主義に基づく経済理論では、そうした状況の説明に限界がある。資本主義の本質が資本の自己増殖だとすれば、実体経済から生まれたマネーが、金融で自己増殖を図ることは当然だろう。だが、自己増殖が収奪と同義だとすれば、この先の世界経済で待ち受けているものは、「周辺」にいる人々からの、もっと過酷になる収奪なのだろうか。