望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

新聞休刊と使命感

 米リーマン・ブラザーズが破綻したのは2008年9月15日。6000億ドル以上という巨額の負債総額で、一挙に金融不安が米国から世界中に広がり、深刻化した。その15日は月曜日だったが日本では祝日。百年に一度の出来事とも称された世界的なビッグニュースだったので、翌日の新聞で詳しく事情を知りたいと多くの人が思ったかもしれないが、16日は新聞休刊日で新聞は発行されなかった。

 百年に一度なら、まさしく世紀の出来事。ニュースを報じた新聞を世に送り出して対価を得る新聞社にとって、世界的なビッグニュースを大々的に報じることは義務であり、記者や編集スタッフの腕の見せ所だと高揚する場面でもあろう。しかし、16日の新聞は発行されず、新聞の使命を果たしているのかと疑念を生じさせた。
 
 半世紀前には新聞休刊日は年2回ほどだったというが、次第に増え、現在ではほぼ毎月1回はある印象だ。年中無休や24時間営業の小売店などは珍しくなく、ネットでは365日24時間、切れ目なく世界からニュースが発信されている世の中になっているのに、日本の新聞社は休刊日を減らすことも廃止することもしない。

 優秀な人材が集まっているだろう新聞社は世の中の変化を理解しており、新聞発行に使命感を持っている人たちも少なくないだろうから、休刊日を廃止することに抵抗はないと推察される。だが、宅配に販売を頼っている限り、休刊日を廃止することも減らすこともできまい。新聞休刊日がなければ、休むことができない配達員らが日本の新聞社を支えているのが現実だから。

 新聞配達はブラックな職場だとの声もある。午前2時頃から準備する朝刊の配達や午後の夕刊の配達、集金など長時間労働に加え、慢性的な人手不足で休日が少なく、勤務時間が明確でないことから残業代がほとんど支払われていないという。そのため短期で辞める人が多く、求人難が常態化しているとか。

 新聞配達といえば、苦学する新聞奨学生のイメージもあったが、応募者は激減し、むしろ日本語学校に通う外国人の留学生やパートの高齢者が増えているという。販売店に余裕があれば、人員を余分に確保して休刊日の減少・廃止に対応できるだろうが、新聞の発行部数が減少を続けているので、そんな余裕はないだろう。

 使命感を重視するなら新聞社は休刊日の廃止へ向けて動くべきだろうが、販売店の負担が増して宅配が維持困難になると日本の新聞社のビジネスモデルは破綻する。各社はネットに活路を探るが、有料化は進展せず、広告頼みとあってはネット戦略も手詰まりの感が否めない。新たな収益モデルを打ち出せず、現状システムの改革も進まないとあっては、日本の新聞社は収縮を続けるだけだ。