望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

読んだ経験

 例えば、夏目漱石の小説を読んだことがない人に、その面白さや素晴らしさなどを漱石ファンが熱心に説いても、実感としての読書体験は伝わらない。そもそも小説なんか読んだことがないという人は小説に興味がなく、小説との接点も希薄だろう。そうした人に小説の面白さを実感してもらうには、何かの小説を読む経験から始めてもらう必要がある。

 小説を読み始めた人が、いつか漱石の小説を読んでも面白いとも素晴らしいとも感じないかもしれないが、実際に自分で読む経験をしたか、読まずにいるかでは、判断の信憑性が異なる。漱石やその作品の情報はネット上に多く、ネット上の情報を読んだだけで漱石とその作品について知ったかぶりで論じたりすることもできようが、読まずに言う見解は自分のものではなく、誰かの見解の受け売りでしかない。
 
 「月ぎめで紙の新聞をとっている」人は50.6%で、 「新聞や新聞記事は読まない」人は 37.5%。「月ぎめで紙の新聞をとっている」人は年代の上昇とともに多くなり、70代以上で80.4%になるが、30代以下では10%台だ。「新聞や新聞記事は読まない」人は年代が低いほど多く、30代以下で60%を超え、30代以下では3人に2人は新聞を読む経験が乏しいのが現代だ(メディアに関する全国世論調査、2023年)。

 新聞をとっていない家庭で育った人は、新聞を読む習慣が身についておらず、親元を離れて暮らし始めても新聞をとらないだろう。ニュースに接するのはテレビがスマホという人が、新聞を軽視し、読んだことがない新聞記事には関心も興味も持たず、SNSなどで流れる玉石混合の情報に影響されるのは自然な現象だ。

 その存在は誰もが知っているだろうが、ニュース源として重要視されなくなった新聞。宅配が減り購読者数を減らし続けている新聞業界は、ネット空間に活路を求め、各社は自社サイトを公開している。だが、有料購読者数は伸びず、収益事業としての成長は見込めず、記事の有料化を増やしたり、いちいち読者登録を求めたりし、公開している記事の冒頭だけしかサイトを訪れた人は読むことができない状況だ。

 これでは、何かについて知りたいと新聞社のサイトを訪れた人がSNSなどに流れるのは当然だ。新聞記事を読んだ経験が乏しい人なら、新聞社のサイトは「面倒くさい」と感じるだけだ。新聞が読まれなくなっている現在、新聞記事を読む体験を広く提供できるのが新聞社サイトのはずだが、各社は新聞記事を囲い込んで、新聞記事を読む体験を広めるチャンスを放棄している。

 新聞記事を読んだ経験が乏しい人々が新聞を見捨て、「情報はネットで」となる流れは定着した。新聞各社は縮小再生産から脱することができず、ネット戦略は収益性にとらわれすぎている。新聞社は自社サイトを「新聞記事を読む経験をしてもらう」場として再構築し、積極的に無料公開記事を増やすなら、より多くの人が新聞記事を読む経験ができる。新聞を読む体験をした人々を増やすしか、新聞が生き延びる道はない。