人間を商品として大々的に貿易の対象にしたのがポルトガル・スペイン・イギリス・フランス・オランダなど欧州諸国だ。まずポルトガルが15世紀にアフリカから連れ帰った黒人を欧州で奴隷として売り、16世紀にスペイン・ポルトガルがアメリカ大陸の植民地にアフリカから連れてきた黒人を供給するようになり、17世紀にはイギリスやフランスが参入、イギリスは1713年のユトレヒト条約で大西洋の黒人奴隷貿易を独占した。
米国で黒人は奴隷として売買され、労働力として酷使された。1861年に南北戦争が始まり、1863年にリンカーン大統領が奴隷解放を宣言し、1865年の南北戦争終戦後に制度としての奴隷制は廃止され、南部諸州においても奴隷は解放された。奴隷貿易と奴隷制度は弁解の余地がない悪行だが、アフリカからアメリカへの大規模な人の移動は様々な変化ももたらした。
代表的なものは、黒人音楽が発展し、世界的に大きな影響を与えたことだろう。昔の黒人たちは自由に歌っていたのだろうが、西洋由来の楽器を手にした黒人たちは西洋音楽の和声や規範などを取り入れ、ブルースという音楽が形成されていった。黒人たちが思いついた言葉を歌ったり、時にはダンスの伴奏をしたりと自由な表現を繰り広げ、徐々に形成された音楽がブルースだった。
黒人たちが楽しんでいたブルースはやがてジャズやR&Bなどに取り入れられて発展していった。ブルースを歌い、演奏する黒人ミュージシャンとは別に、音楽形式としてのブルースが広まった。それは12小節で4小節を3回重ねる構成の音楽だ(古いブルースミュージシャンは8小節や16小節など、必ずしも12小節にとらわれないが、12小節のブルースが圧倒的に多い)。20世紀後半にはロックの誕生にブルースが重要な役割を果たした。
形式としてのブルースはジャズやロックのミュージシャンに自由な表現の場を与えた。代表例は、ジャズではチャーリー・パーカー、ロックではエリック・クラプトンで、多くの名演が残されている。ブルースは12小節で単純な構成の音楽だが、単純な構成だから多彩な表現を許し、演奏者の個性を際立たせる。言葉数に制約がある和歌や俳句が人々の個性を存分に発揮させるように単純な枠組みは自由な表現を促す。
形式としてのブルースは表現の制約が少ない音楽で、演奏者は自由に個性を発揮することができる。これは、誰もがチャーリー・パーカーやエリック・クラプトンのように演奏できるということではない。創作力が乏しい人が演奏すると単調で陳腐なフレーズしか奏でることができないだろうから、自由に個性を発揮できる場は常に演奏者が試される場である。