望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マルコヴィッチの穴

 こんなコラムを2000年に書いていました。

 とあるビルの7.5階の一室の壁に穴があり、それは俳優マルコヴィッチの脳に繋がっている。穴に入るとマルコヴィッチの脳に乗り移ることができ、馴れればマルコヴィッチの身体を思うままに動かすことができる。

 こんなアイデアが浮かんだ時、「映画が1本できた」と監督は言ったのだろうな。あとはアイデアの面白さを損なわないで、ストーリーを展開するだけ。面白くて、ちょっと人生のほろ苦さをまぶした映画のでき上がりーとなるはずだったのだが。印象に残るのはアイデアの面白さばかりというのは、監督にとって、誤算なのか、計算通りなのか。それとも俳優の力量の問題か。

 若いカップルがいて、人形を愛する男は壁の穴を発見し、好きになった女をマルコヴィッチの身体を借りて抱き、ペットを愛する女のほうは、マルコヴィッチの目を通して同性の「恋人」を発見する。

 現代人の心と身体が分離していることを、マルコヴィッチの穴を使って表現しているのかもしれない。滑らかな動き(CGを使っていないとしたら、素晴しい人形遣いの芸だ)と固定した表情の人形も、その表現の一つだろう。他人の脳に寄生することで生き延びている男も、言ってみれば、心だけで生きていることになる。