望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

情報の生態圏

 生態圏とは、生物が存在する領域であり、一般には生物圏と同義とされる。生態学は生物の生活を調べ、生物と環境条件の関係や生物と個体間や集団、他の生物との関係、物質やエネルギーの循環などを明らかにする学問だ。生物は地上にも地下にも海中にも生存しており、それぞれの生物にはそれぞれの生存空間=生態圏がある。

 例えば、地上といっても、アリが這い回る地面もあれば、その上の人間や多くの動物が活動する空間もあり、森林もあれば樹上もあり、砂漠もあれば草原もあり、鳥類が活動する空中もあれば河川や湖沼もあるように生態圏は生物によって異なり、様々な生態圏が地上には存在する。人間の生態圏に限っても様々な環境がある。

 様々な人間の生態圏は、生存を維持するという基本的な自然条件の制約はあるはずだが、猛暑でも極寒でも人間は住み着き、乾燥地帯にも湿潤地帯にも住む。多くの商品が大量に広範に流通するようになったので環境要因による生活への制約は小さくなり、人間の生態圏は拡大している。だが、実際には都市生活の利便性という魅力は大きく、世界で多くの人々は都市に集まる。

 生態圏という発想を個人に当てはめ、個人が活動する領域として見ると、それぞれに異なる生態圏があり、そこで暮らす生活実感は相当に異なるだろう。例えば、山間部の集落で暮らす人と都市生活者では生活条件が異なるので必要とする情報は異なり、そこに個人の心情や関心、価値観、政治的主張などが加わるので、さらに個人の生態圏で求められる情報は広範なバラツキを生じる。

 都市生活者の間でも個人の生態圏は様々で、求められる情報は大きく異なるだろう。日本の政治に関心がある人と芸能にしか関心がない人、スポーツに関心がある人、経済や企業動向に関心がある人では、求める情報が異なる。さらに、日本の政治に関心がある人でも自民党支持者と共産党支持者では、求める情報が違うだろう。それは、新たなことを知るための情報ではなく、すでに保有する信念などを補強するために求める情報だからだ。

 新聞やテレビなどに情報源が限られていた時代から、数多くの情報メディアが存在する時代になり、SNSなどには真偽定かならぬ「情報」があふれている。情報は、人々がただ受け取るだけだったのが、自分で選んで取りに行くものに変化した。だが、自己の価値判断に合わせて情報を選んで受け入れる人々は、自己の価値判断を揺るがすような情報は拒絶する(拒絶できる)。やがて情報源は固定し、人々には各自の情報の生態圏が形成される。

 米国の大統領選におけるトランプ支持者と反トランプの人々の対立に顕著に見られたように、人々はそれぞれの情報の生態圏を生きている。自己の信念や信条などを補強する情報を得ようとすれば、それに適するメディアを選べばよく、自己の価値観に反する情報を提供するメディアは拒絶する。その結果が分断の激化ともなるが、共通する情報=共通する認識が乏しいのだから、溝は簡単には埋まらない。