望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





数独

 数独というパズルがある。新聞の日曜版や週刊誌などに掲載されているし、専門誌も多く出ているようで、書店のパズルコーナーでは一大勢力となっている。海外で活躍する日本モノを紹介するTV番組などではよく取り上げられており、海外での人気も高いという。



 この数独は、9×9の升目にいくつかの約束事に従って1~9の数字を当てはめていくのだが、最初から明らかにされている数字によって難易度は違ってくる。難易度が高くなると、いくつかの空欄に仮定の数字を置く手段が必要になるというが、簡単には会得できそうにない。たまに新聞の日曜版に難易度の高い問題が載っていて、鉛筆を手に挑んでも、どうにも進まず、空欄をにらんで悔しい思いをすることがある。



 シンプルだが変化が多く、難易度が幅広く、奥が深いというのが数独の魅力だ。1から9までの数字しか使わないが、いくら考えても、目当ての空欄に適当な数字が浮かんで来ないことがある。1から9まで順に当てはめてみても、どれもがソッポを向く。でも別の空欄が埋まると一気にすらすら解けたりする。



 帰宅時の通勤電車の中でも、小さな本を手に数独に熱中している人を見かけることがある。出社時の電車では数独をやっている人を見かけたことがないのは不思議だが、朝は数独の代わりに日経新聞でも読んでいるからなのだろうか。



 数独の9×9という升目は将棋盤と同じだ。19×19の囲碁にも初心者向けに9×9の九路盤と呼ばれるものがある。将棋盤で1~9までの数字駒を使って数独ができそうな気がするが、適当に数字を空欄に置いても、1~9の数字が縦列、横列、3×3のブロックにうまく落ち着くのは難しいかも。



 数独の問題を提供するサイトはいくつかあり、自信があるからと中級クラスから始めると、意外に手こずったりする。気分直しに初級クラスで、楽勝のつもりで解いてみて、チェックすると重複があったりする。初級クラスでも集中力が散漫だと、思い込みで数字を埋めたのか、重複が出てしまう。気に入らないなあと新しい問題に挑んでいるうちに、時間はどんどん過ぎ行く。


チャーリー・ワッツ

 チャーリー・ワッツがこの世から旅立った。1941年6月2日に生まれ、2021年8月24日に死去、享年80歳。1963年1月にローリング・ストーンズに加入し、約60年を現役ドラマーとして生きた。手元にある書籍や雑誌からチャーリー・ワッツの言葉を抜き出してみた。

 「初めてメンバーとしてプレイしたのは1963年、イーリング・クラブでだった。とはいえ、1962年にはミック、キース、ブライアンとすでに顔見知りだった。その頃、私はアレクシス・コーナーとシリル・デイヴィスのバンドの一員として、ウエスト・ロンドンにあるホットで汗臭くて狭苦しいクラブと、オックスフォード・ストリートにあるマーキー・クラブでプレイしていたのだ」
 「オルタモントはツアーの最終ステージだった。ヘリで到着し、外に出てみたら、手がつけられなくなった大観衆。ロック・フェスの始まりがウッド・ストックなら、終わらせたのは私たちだ。刺殺事件は見ていない。『ギミー・シェルター』の映像を見るまで気づかなかった。オルタモントで起きたことは、私たちの音楽のせいじゃない。私たちはまたしてもややこしい騒動に巻き込まれてしまったのだ」
 「リックス・ツアーのステージは、スティール・ホイールズのステージをさらに洗練させた感じで実に美しかった。よくミックのアパートメントでツアーの打ち合わせをしたものだ。ありがたいことに、私たちはテクノロジーを手にしている。だが観客とつなげるためには、常にテクノロジーと音楽を結びつけなくてはいけないんだ」
 「私たちは、自分たちが客席から見えないーー蟻みたいにしか見えないことを特に意識するようになった。実際、観客を盛り上げるために、ミックの姿をスクリーンに映し出さなければいけなくなったんだ。ショーの規模がこれだけ大きくなると、特別な助けが必要になってくる。花火やら、照明やら、舞台やら、ちょっとした『仕掛け』がね」
  ※以上は「ザ・ローリング・ストーンズ50」(2012年)から。

 「ある日ジェリー・マリガンの<Walking Shoes>を聴いて、ドラムのとりこになった(ドラマーはチコ・ハミルトン)。それ以来、サックスも他のどんな楽器も目に入らなくなってしまったんだ」
 「レコードを聴いた瞬間、『こんな風に叩きたい』と思った。今でもあの曲を聴くと、同じ思いが込み上げてくる。それほどの逸作だね」
 「セッションの仕事をしたことは一度もない。常にバンドがあった。一つ、または二つ。いや三つを掛け持ちしたこともあったな。ミュージシャンであるってことは、そういうことなんだよ。セッションからセッションを渡り歩こうが、同時に3バンドを掛け持ちしようが、様々な音楽的シチュエーションにおいてプレイできるのがミュージシャンだ」
 「バンドでプレイするってことに関しちゃ数だけはずいぶんとこなしてきた。どれも1〜2カ月単位だけどね。大抵リード・シンガーがメンバーのかみさんと駆け落ちしてずらかる。仕方なく僕は別のバンドに移る(笑)。さもなければ、バンドに人気が出てきて、わがまま放題になり消滅というお決まりのパターンさ」
 「この間もある奴に『まだ、やってるのか?』と尋ねられたので答えてやったよ。『ああ、まだやってるよ。カミさんが僕と別れずにいる唯一の理由もそれなんだ』とね」
 「今のペースのまま進めるのならローリング・ストーンズに終止符が打たれることはないだろう。このストーンズという何かは、大勢の人間に楽しみを与えるものらしいからね。キースもまだ夢中だ。残りの連中もだ」
 「楽しくなくちゃ。だって金はこれ以上欲しいとも思わない。一度100万ドル稼いでしまうと、それではまだ足りなくなる。5000万ドル稼いでもまだ足りない。金じゃないんだよ。気持ちの問題だ」
 「要は音楽なんだ。要は金だという人間も、そりゃ多くいるだろうが、ウサギとニンジンの関係さ。でもストーンズは金が動機だったってことは一度もない。このバンドはなんたってインスティテューションだからな(笑)。金は歯車の一つに過ぎないのさ。最後は上首尾に終わり、何かが僕たちの手元に残るんだろう。ま、せいぜい『何か』くらいは残って欲しいもんだね」
 ※以上は「ROCK JET」誌(Vol.55=2014年。1992年のインタビューの再録)から。

第1次産業への回帰


 日本は人口が多い国だ。日本人の各自がそれなりに収入を得ていた頃は、日本のGDPも順調に伸びていたが、非正規雇用が増えたことなどにより、各自の収入が減り、その結果、GDPも減ることになる。単純に考えれば、「各人の収入×人口」のうち、各人の収入が減っているのだから、日本のGDPが縮小するのは当然か。



 戦後の日本は、農家など第1次産業の次男、三男が第2次産業に就業して高度成長を支え、さらには第3次産業への労働力移行により経済・社会の高度化を実現した。しかし、バブル破綻以降、日本経済は縮小し、第2次産業では欧米やアジアへの工場の海外移転が加速し、第3次産業でも情報化・ネット化の進展で人手が少なくて済むようになった。



 少なくて済む……を言い換えると、人員が過剰になったということ。民間企業は社会福祉のために存在しているわけではないので、企業自身が苦しくなると、身軽になるために従業員を放り出す。あるいは、それまでより低賃金で雇用する。



 従業員・社員というのは消費者であるから、収入が少なくなれば個人消費は落ち込む。社員を減らし、工場を海外に移転し、IT化を進めて企業が「筋肉質」になったとしても、収入が減った日本人が増えると国内消費は落ち込む。そうした結果として日本経済は、需給ギャップが25兆円とも言われるほど需要が減り、浮上のめどが立たない低迷が続いている。



 第2次産業にも第3次産業にも雇用吸収力が失われつつある。人口の多い日本だが、仕事のある海外へぞくぞく移民するほど、人々に対応力があるわけではない。言い方を変えると、穏やかな気候で穏やかな暮らしができる日本で住むことを多くの人は望んでいる。それに、植民地を世界のどこかに確保して、人々を移住させるというような時代ではないしね。



 つまりは政策として、第2次産業や第3次産業で吸収できなくなった人々=労働力を国内で移行させなければならない。人手を多く要する国内産業とは何か。残っているのは第1次産業である。その第1次産業はどういう状況にあるか。農業も漁業も従事者は高齢化し、このままでは10年保たずに崩壊するかもしれない。



 2010年の農林業センサスによると、農業就業人口は260万人で5年前に比べて75万人減り、平均年齢は65・8歳となり、初めて65歳を超えた。就業人口は85年には543万人だったというから、25年間で半減したことになる。



 第2次産業や第3次産業で吸収できなくなった人々を第1次産業に移行させるには、就業を促す制度構築が必定だ。例えば全国各地の農協や漁協が生産法人をつくり、そこの社員として雇い入れ、農家や漁家に派遣する。当初は労働力として経験を積み、3~5年で独立できるようにする。



 第1次産業に従事するなら高収入は望めないだろうが、「食べて」いくことはできよう。都会で非正規労働を続けていると、低賃金で結婚もできないなんて言われるが、第1次産業でやって行くことができる人たちなら、家庭を持つことも可能だろう。第1次産業に人々を吸収し、若返りを図りつつ強化することを日本はすぐにでも始めるべきだ。






9の不思議


 9という数字には何かが潜んでいる。例えば、九九の9の段。9×1が9、9×2が18、9×3が27、9×4が36……答えの各位の数字を足すと9になる。もっと大きな9の倍数はどうかと電卓で適当に計算し、出た答えの各位の数字を一桁になるまで足すと、その和は9になる。



 9の段の各答えから9に掛けた数字を引くと9−1は8、18−2は16……24、32、40、48、56、64、72となるが、各位の数字を一桁になるまで足すと8、7、6、5、4、3、2、1、9になる。こうした規則性を見ると、数学好きの言う「数学は美しい」との言葉に何となく共感できるような気になる。



 今度は割り算。1を9で割ると0.111…、2を9で割ると0.222…、3を9で割ると0.333……8を9で割ると0.888…となり、9で割った元の数字が小数点以下に連続して現れる。これは全ての(9で割る)割り算にも現れる。

 9を9で割ると1。10を9で割ると1.111…、11を9で割ると1.222…、12を9で割ると1.333…、13を9で割ると1.444……17を9で割ると1.888…となり、9で割った元の数字の各位の数字の合計が小数点以下に現れる。



 18を9で割ると2。19を9で割ると2.111…、20を9で割ると2.222…、21を9で割ると2.333…、22を9で割ると2.444……26を9で割ると2.888…となる。ここでも、9で割った元の数字の各位の一桁まで合計した数字が小数点以下に現れる。



 気づかれただろうが、何かの数字を9で割った時に、余った数字(1~8まで)を9で割って行くと、先述のように、小数点以下にその余った数字が現れる。



 見方を変えて9の倍数+1では、例えば28を9で割ると3.111…、37を9で割ると4.111…、46を9で割ると5.111…、55を9で割ると6.111……82を9で割ると9.111…、91を9で割ると10.111…、100を9で割ると11.111…となる。小数点以下に1が続く。



 9の倍数プラス2では、38を9で割ると4.222…、47を9で割ると5.222…、56を9で割ると6.222……83を9で割ると9.222…、92を9で割ると10.222…となり、小数点以下に2が続く。他を試してみても、9の倍数にプラスした数字が小数点以下に現れる。



 なぜか9には規則性が伴う。いつも冷静な律儀なヤツで、言うことには何かスジが通っていて、いくら飲んでもハメを外すことがなく、たのまれたことは期日までには間違いなく仕上げる……そんなキャラクターをつい連想してしまう。



 でも、手拍子の一本締めは、シャシャシャン・シャシャシャン・シャシャシャン・シャンと打つが、3回手を叩く×3にプラス1回で、最後の1回は、九に点を加えて丸にしておさめる意だという。9ではなく、10にして収まりが良いということのようだ。してみると、9には何か欠けているところがあるので、その何か欠けているものが9に規則性をもたらしているのかもしれない。



ロックダウンの効果

 首都圏だけでなく全国で新規感染者が激増し、感染爆発が現実となった日本。政府の対策は、緊急事態宣言とまん延防止措置の適用地域の拡大と、人々に外出自粛を求めるなど以前からの対策を繰り返すだけだ。デルタ株は感染力が強いとされるが、デルタ株に最適な新たな対策を示すことができていない。

 以前と同じ対策ではダメだと、もっと厳しい対策を求める声が出始めた。政府の新型コロナウイルス分科会の尾身会長は、ロックダウンの法制化に向けた議論の必要性を公言し、全国知事会も、緊急事態宣言の発令で効果はもう見いだせないことは明白だとして政府に、ロックダウンのような徹底した人流抑制策の検討を求める緊急提言を公表した。マスメディアはロックダウンを求める人々の声を伝えるなど、ロックダウン容認へ加担した風情だ。

 人々の外出や行動を厳しく制限するロックダウンを政府が行うには法的根拠が必要だが、日本では、そんな強い権限を政府に与えることには抵抗が強いだろう(日本には政府が強力な権限を持って人々を統制し、15年戦争に突入して無条件降伏し、独立を失った歴史がある)。だが、政府は感染爆発に無力と見える状況で、新しい対策が求められるのでロックダウンが持ち出された。

 ロックダウンを実施した国は多い。それらの国ではロックダウンで①人々の外出を制限(国内外の旅行などの移動も制限)、②飲食店や小売店など商業施設の営業は禁止、③学校などは閉鎖、④イベントや集会は禁止、⑤感染者が多い地域は封鎖ーなどを行い、違反者には罰金を科す一方で休業補償を手厚くするなど「ムチとアメ」を使い分けた。

 日本は最近の緊急事態宣言で飲食店に対してだけ厳しい営業制限を科したが、飲食店以外の商業施設は営業を続け、学校は閉鎖せず、イベントなども人数制限など条件付きで開催されている。感染者数や死者数が欧米より少なかった日本だが、ワクチン接種も医療体制の整備強化も遅れ、感染力が強いとされるデルタ株の広がりに打つ手が乏しく、人々の外出増加に感染拡大の責任を転嫁して、ロックダウンをチラつかせている。

 ロックダウンに効果があるのなら、欧州諸国などでは感染拡大に歯止めがかかっていただろう。現実は、永遠にロックダウンを続けることはできず、ロックダウン解除後に新規感染者は増加し、最近はデルタ株もあってか日本をはるかに上回る感染者数と死者数になっている。欧州諸国以外にもロックダウンを行った国は多いので、世界の諸国を実例として詳しく検証することが日本でロックダウンを論じる時に役立とう。

 厳しいロックダウンで感染封じ込めに成功した典型は中国だろう(公式発表では累計の感染者数は9万4631人、死者4636人=8月23日現在=とされる)が、それは強権による独裁統治の「成果」であり、日本などの参考にはならない。ワクチン以外にCOVID-19抑制の現実的な方策が見当たらない現在、ロックダウンはワクチン接種が行き渡るまでの時間稼ぎの手段に過ぎないが、ロックダウンの法制化に要する時間を考えると、日本はワクチン接種の拡大に注力するほうが効率的だろう。





日本にも大統領

 日本国内、特に永田町での権力闘争に習熟した政治家が大半を占める議会では、乱暴に言うと、何でも内政問題にして権力闘争に利用する傾向がある。外交問題も、政府の対応の問題にしてしまう。それで、衆議院参議院の機能を分化させ、衆議院は内政を担当し、参議院は外交・防衛を担当するように分けたほうが良いと前回提案した。



 議会の機能を内政と外交・防衛に分けた場合、首相が内政以外に、外交・防衛も担当する現在の制度の見直しが必要となる。そこで提案。議会の機能の分化に伴って、首相は衆議院で選出されるものとし、内政を担当する。外交・防衛を担当する大統領職を新たに設け、参議院で選出されるものとする。



 対外的には大統領が日本を代表し、国際会議などには首相ではなく、外交を担当する大統領が出席することになる。永田町での権力闘争で首相が頻繁に交代しても、大統領は変わらないので、国際的に日本は安定感を今よりは与えることができよう。



 こうした改革の狙いは、議会の機能をより発揮させることである。議会を、政府の責任問題や「政治とカネ」追及などで権力闘争の場とすることは、時には必要なのかもしれないが、そればかりでは政治の空洞化が進み、政治の実際(行政)は具体的事項の積み重なりなので、政治家は結局、知識の豊富な官僚頼みとなる。



 基本的に議会は、議員たちの冷静な議論・審議により、政治の方向性を決め、提出法案などを練り上げる場としたい。冷静な議論・審議には、実際の現場のデータの共有が必要になる。そのため議会には専門家を集めた調査委員会を適時設置し、報告させる。そうした積み重ねが、現実から遊離した観念論を振り回す政治家を減らすことにもなろう。



 議会を内政と外交・防衛に分けると、内閣制度も新たなカタチにする必要がある。首相と大統領が異なる政党に属する可能性があるので、首相が率いる内閣は基本的に内政を担当するものとし、外交・防衛を担当する大統領が率いる機構を新設する。そこには外相と防衛相(共に参議院で選出されるものとする)が加わり、内閣に属する各大臣は準メンバーとして参加する。







国会改革

 2010年に尖閣諸島沖の漁船衝突事件に関する集中審議が衆院予算委員会で行われた。審議の模様はニュースで断片的に見ただけだが、当時の自民党など野党は声高に政府批判をして「責任、責任」と言い募り、政府サイドは政府見解を繰り返して、突っぱねるだけ……という印象だった。

 そういえば、民主党の政治家たちも野党だった頃は元気に自民党政府を攻撃していたことを思い出した。何の法案でも党議拘束がかかり、採決(時には強行採決)までの「時間つぶし」が国会審議だという実態では、野党はヒステリックに政府批判にもっていくしかないんだろうな。だから、ヤジを激しくして審議に「華」をそえる?

 国会での与野党の議員による審議により、官僚が書いて国会に提出された法案の条文を書き換えて行くことが、政治家主導の政治であり、脱官僚の最たるものだろうが、法案を書き換えるだけの力が議員にあるのだろうか。あるなら、とっくに議員はやってるはずだ……という見方もある。

 当時の集中審議を見ると、強硬策を次々と重ねた中国に対するイラダチを議員が政府にぶつけていたような印象もある。事実認識を共有することが議論のベースにあるべきだが、衝突時の映像さえ政府が議会にも隠したままでは、議員らは、てんでの考えで発言する。事実認識に差があるため、議論は時に噛み合わなくなる。

 当時の集中審議では、覇権をあからさまに求めるようになった中国に対する今後の外交方針をも議論すべきだったが、政府の責任問題という内政問題に変わってしまった印象だ。対中国政策こそ議員らが議論すべきだったのに、議員は「得意」の政府攻撃で審議を「盛り上げた」。

 こうしたことは、衆議院参議院の区別がなくなっているから生じる。内向きだという日本では、普段から国際問題・外交問題は影が薄いが、アメリカに距離を置いて自立するなら、日本に自前の外交政策が必要だ。日本の議会が議論して、外交について方針を策定することができなければ、外務省の官僚の筋書きに頼るしかない。それは政治家主導ではない。

 議会が外交問題外交問題として審議するには、内政問題に転嫁させないことが必要だ。そのためには、衆議院参議院で機能を分けることしかない。衆議院は内政を審議する場とし、参議院は外交・防衛を審議する場とする。こうなれば、「ねじれ」などで議会が停滞し続けることもなくなるだろう。もちろん定数も見直す。参議院は定数100人。選挙は全国区とし、政党別の完全比例代表制とする。