望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

自由を求める自由

 アナキストを自称していた竹中労さんは「いちばん大切な自由は、『自由になろうとする』自由だ」とし、「自由の有難味が全て物質で、ものの形で表れてこないと理解できない」人々を批判し、檻があるから外へ出ようとする精神がいちばん自由であり、「どんな時代でも、どんな立場でも、どのような環境でも『自由になろうとする自由』はある。幕末にもあった、戦時中にもあった。それが失われている」とした(「対論・草莽のロマンチシズム」ー『竹中労の右翼との対話』所収。以下の引用も同書)。

 さらに、「世界を支配しているガン、諸悪の根元は階級ではなくて差別である」と指摘し、「世界を支配している体制は、戦いに勝ったものが負けたものを支配する、勝てば官軍である」「負ければ悪人である、無抵抗で裁かれねばならない。これはまさに差別」だと断じた。

 続けて「人間諸悪のすべてを二文字に象徴すれば、差別である。持てる国の持たざる国への差別、先進国の後進国に対する差別、技術を持っている国の技術を持っていない国への差別、教育程度の高い国の教育程度の低い国への差別、その国内における差別、門地・種族・性別・貧富……さまざまな差別があるけれども、人間諸悪は差別という共通項でくくられる」「支配するものと支配されるものがある限り、そこには差別が存在する」とした。差別という概念は人と人との関係において適用されるのが一般的だが、竹中労さんは国家間にも適用範囲を拡大した。

 様々な格差が国家間にも存在し、優越的な立場にある国家が差別を認識することは困難なようにも見られるが、竹中労さんは「人類が目ざしていかなければならないのは大国の滅亡であり、小国寡民の分立であり、終局的には地球規模における混民族連邦である」と世界が目指す理想を示し、「世界の支配の秩序、国家間の差別を打ちこわす方向は政治的安定ではなく、人々に窮乏をもたらすかもしれないが大動乱・現状破壊の方向である。真のユトピアはいくつもの秩序を破壊した彼岸に見る村落共同体の連合であり、混民族連邦である。これが、アナキズムの理想」だとする。

 竹中労さんが理想とする世界の実現には膨大な時間を要しようが、できることから始めるしかない。「左右の思想を弁別しない。人間を差別し、中央集権で管理しようとする力と永久に戦うことが革命なのであって、体制をもって体制に換えること、国家機構をもって国家機構に替えることは、政変もしくは奪権であって革命ではない」と、権力闘争ではなく、人間が自由かつ平等に生きる世界を目指す闘争を続けることが解放への道筋だと説く。

 人と人との関係における差別について竹中労さんは「差別を解消するものは、けっきょく愛だと思う。愛が差別をなくしていく唯一絶対の手だてなのです。ですから、損得というものをまず捨てよう。他者のために損をする快感みたいなものを若い人たちは味わいなさい。報酬を期待しない行為を身につけていかねばならない」と、他人を愛するのは他人の尊厳を認めることであり、愛する他人に対する差別は解消されると説く。

 人々を厳しく統制・管理する国が世界には珍しくないが、どんなに抑圧が強い国でも人々には「自由を求める自由」はある。心の中にある「自由を求める自由」を国家が奪うことは不可能だ。世界中で「自由を求める自由」を行使する人々が続々と現れ、そうした人々によって形成された国家が増えたならば、国家間における差別も解消される方向へ歩み出すかもしれない。