望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ポーズをとる

 米バージニア州バージニア工科大で32人を射殺したチョ・スンヒが、メッセージを録画したDVDを放送局に送りつけた事件が2007年にあった。そのDVDの中に、ピストルを持った両手を広げて、ポーズを決めている映像があり、映画「ハーダー・ゼイ・カム」でジミー・クリフが演じたシーンを想起させた。

 チョは死後にマスコミで大騒ぎされることを確信し、その大騒ぎの中で「顔の見えない主役」ではなく、自己顕示欲を満足させる自己のイメージを皆に与えるべく、ビデオカメラに向かってポーズを決めた。呪詛や妬み、自己正当化を連ねたようなメッセージは、何かを言わなければならないという状況(カメラが写している)から言っただけだろう。チョは本音を述べていたのかもしれないが、チョが皆に知ってもらいたかったのは,言葉に出して残したことではなく、自分の映像だろう。言葉で伝えたいことがあるなら、DVDよりも簡単な方法がいくつもある。わざわざDVDに記録したのは、自分の姿を見てもらいたかったのだ。


 チョが自分の生涯を終わりにしようと決心した時に、自分の存在を皆の記憶に残したかった。?マークの人間としてでもなく、人付き合いの悪い得体の知れない人間としてでもなく、この世の矛盾に向き合う怒れる人間としての自分の記憶を残したかったのだろう。おそらく、そうした自己イメージと現実の自己の置かれたギャップがチョには圧迫として覆いかぶさっていた。


 ピストルを持った両手を広げたチョは、ヒーローになった気がしていたかどうかは分からないが、事件のあとにチョが期待するようなイメージで見られることを予想し、高揚していただろう。単なる犯罪者としてではなく、特別な存在と見られたかったのかもしれない。しかし、32人という大量殺人者としてチョは特別な存在になったが、そのメッセージのゆえに特別な存在になることはない。伝えられるメッセージを読む限りチョの主張に聞くべきものはない。


 映画「ハーダー・ゼイ・カム」で警察に追われる主人公は、以前に吹き込んだ歌がヒットし、スターになる夢は実現したものの警察に追われ、その夢が自分の手に届かないまま漂うのを見た。ジミー・クリフ演じる主人公は逃走中、着飾って両手にピストルを持ち、鏡に向かって様々なポーズをとる。おそらく主人公にとって「栄華」の頂点だった。


 チョにとっても、両手にピストルを持ったポーズは彼の人生において「頂点」だったかもしれない。その後の惨事がなければ、とるに足らない「頂点」でしかないものだったろうが。