こんなコラムを2000年に書いていました。
大山鳴動して鼠一匹も出なかった。ふと「哀愁の永田町」という一席を思いついた(講釈師になった気持でリズムをつけて読んでください)。
止めてくれるな皆の衆、「だめだ、だめです、残りなさい」と、泣いて袖引く同志を置いて、男・加藤、独りで討ち死に覚悟の決戦場へ、行かねば加藤の男が立たぬと、去って行くーーこうなりゃ政治家加藤紘一、死しても名だけは残したものを。
どこで何があったやら、「だめだ、だめです、残りなさい」と、マイクを前に立ったまま、袖引く同志の寄るを待って、涙を見せてはみたものの、止めてくれる同志のおかげで、どこかに名は落したものの、命だけは取り留めた。
大一番との前評判も、幕も開かずに評判倒れ。檜舞台に上がりもせずに、主役をはろうの了見は、森の総理の二番煎じ、そこまで見物、許しはしない。おかげで興行、客足遠のき、前評判を当て込んで、仕入れた弁当、売れもせず、永田町には腐臭ふんぷん。
勝負すべきに勝負せず、立つべき時に立ちもせず、そんな男の行く末は、腰くだけに成り果てて、器用なだけの世渡りに、自己満足がせいぜいか。自己弁護とプライドを、頼りに大物気取るのが、関の山とは誰がせいか。
近くを見れば河野洋平、総裁選を前にして、ポマード頭に尻尾を巻き、落選覚悟で立ちもせで、あわれ若年寄と成り果てた。自力で首相になれなくて、ひたすら尻尾を振って見せ、名を呼ばれるのを待つばかり。
ここに加わる加藤紘一、保守本流だと言ってはみせても、首相の椅子は遠のくばかり。こうなりゃ野中、橋本に、ついでに青木、小泉に、流し目をして順番待ち。いずれ不人気・森の総理、首のすげ替え近いものと、当てはすれども、肩透かし。
首相決める方々は、森の総理の不人気に、一般受けも大事だと、民意を聞いてあげようと、国民国民と言い募り、御為ごかしのうやむやに、どこかで決まる次期の総理。そうなりゃ加藤の影薄く、生き恥さらす心地す、か。
人の生き方様々なれど、いつも勝つとは有り得ぬところ。特に名を売る面々は、負け方だって見せ所。勝った時にははしゃげばいいが、負けた時こそ潔く、自己を律する腕の見せ場。負けるを覚悟で咲かす花も、あろうことを忘るるな。男・加藤は花も咲かず、冷たい雨にしぼんで終わった。
除名に選挙に対抗馬、考え直せという声に、勢い込んでの決心も、秤にかけりゃ重たさは、どっちがどうと言い切れず、考え直す理由には事欠かないのが世の常か。それでもやるという心、支えるものは己が気迫。考え直す理由をば、振り切り一歩を踏み出して、何が待つのか怖いけど、幕を開けてみることが、時代を動かす心意気。
水掛け男も現れて、木戸銭分は楽しんで、観てもらえたかと誰かが言う。誰がどうしたこうしたと、力説されても、見物衆、勝手に木戸銭巻き上げられ、三文芝居の有力者の、名題気取りは、見てられねえ。