望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ギリシャの新しい悲劇

 近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目「冥途の飛脚」は、歌舞伎では「恋飛脚大和往来」として上演される。上方の和事の代表作の一つだ。その「封印切」の場面では、大阪の飛脚屋の養子・忠兵衛が、遊女・梅川の身請けを他の男と張り合って、金があることを示すために、飛脚屋として預かっていた為替の小判の封を切ってしまう。当時は、封を切っただけで死罪だった。

 この忠兵衛は以前にも梅川の身請け問題を巡って、友人へ届けられた金を無断で使ってしまったことがあり、他人の金を預かるには問題がある人物だ。当時の飛脚屋は手紙や現金を輸送する業者で、預かりものの金に手をつければ死罪だった。それを承知で、小判の封をきったのだから、よほどの衝動に突き動かされたのだろう。

 これを行うとマズいと理解しながら、つい行ってしまうことがある。自制しているはずなのに飲み過ぎたり食べ過ぎたり、言わずもがなのことを言ってしまったり。だが、身の破滅につながりかねないことなら誰しもが慎重になる。身の破滅と分かっていながら、小判の封を切ったりすると、芝居では役者が内心の葛藤を演じる名場面になるだろうが、現実世界では重い責任を負うことになる。

 数年前に、あえて重い責任を負うことを選択したのがギリシャだ。こちらも金に窮していたのだが、遊女に入れあげるようなことで他人の金に手をつけたのではなく、経済の実態を粉飾して外国から金を集めていたことがばれ、簡単には金を貸してもらえなくなった。

 厳しい緊縮策を“強要”されてギリシャの経済はすっかり疲弊し、銀行はECBからの資金が頼りで、政府も手持ちの金がなくなり、IMFなどから融資を受けなければ債務を返すことができない状況になった。そうした中で、緊縮策に対する嫌悪に支えられて登場したチプラス政権は、さらなる緊縮策を回避しながら金を借りようと交渉していたが、失敗した。

 それなら国民投票で、緊縮策を受け入れるかどうか決めるとチプラス政権は一方的に宣言。国民向けに大見得をきってみせたが、金を貸すEU諸国側が「では国民投票の結果を待とう」と素直に支払い期限の延長に応じてくれるはずもなく、とうとう6月30日が支払期限だった債務16億ユーロ(約2200億円)をギリシャ政府は返済できない事態。

 忠兵衛と梅川は心中を決意し、死出の旅に赴いて芝居は幕となる。だが、国家に幕引きはなく、ひどい経済状況であろうと存立し続け、ユーロ圏にとどまろうと離脱しようとギリシャの人々はこの先、さらに疲弊した経済状況の中で生きて行かなければならない。粉飾して外国から金を引っ張っていたギリシャ。手をつけてはいけない金に手をつけてしまった悲劇は、芝居ならず現実世界でも起こっている。