望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

韓国政府批判と嫌韓

 韓国政府の対日本外交には奇妙な言動が目立つ。国家間で交渉して取り決めた条約や協約、合意などを一方的な解釈で韓国政府は改変したり、実質的に廃棄しようとしているように見える。どういう価値観を韓国政府が持とうと彼らの自由だが、独自の価値観の日本への押し付けを、植民地支配された過去の「屈辱」で正当化している気配だ。

 そうした韓国政府の言動や国際機関などにおける韓国からの相次ぐ日本批判に、日本の多くの人は不快感を持っているようだ。日本政府は輸出優遇国グループAから韓国を除外し、韓国は猛反発したが、マスコミ各社の世論調査では日本政府の対応に対する支持が圧倒的に多い。

 こうした中、特集「厄介な隣人にサヨウナラ/韓国なんて要らない」を掲載した週刊誌が謝罪に追い込まれ、嫌韓の風潮を諌める論説を新聞が掲載した。そこでは「韓国への反感をあおるような一部メディアの風潮」「隣国を感情的に遠ざけるような言葉が多用」「韓国人という括りで『病理』を論じるのは民族差別」「韓国人全体への差別を助長し、憎しみを煽る」「韓国への憎悪や差別をあおる」などと厳しく批判している。

 なぜ韓国が嫌われるようになったのか、新聞など一部のマスコミは客観的な分析を避けている。「日韓間には感情的なあつれきを生みやすい歴史がある。だからこそ、双方の認識ギャップを埋める努力がいる」と説くが、認識ギャップを拡大させる韓国政府の言動の奇妙さの検証、批判には及び腰で、戦中戦後の歴史と絡めた「ご高説」で済ましてしまう。

 嫌韓の風潮の問題は、韓国政府に対する批判と韓国人に対する批判を峻別せず、混同していることだ。同時に、嫌韓の風潮を諌める新聞など一部マスコミの主張も、韓国政府の奇妙な言動に対する批判や反発から生じる嫌悪感を嫌韓と峻別せずに批判している。こうした一部マスコミの批判は、認識ギャップを拡大させることには役立っても、認識ギャップを埋めることには役立たないだろう。

 嫌韓の風潮を鎮めたいなら新聞など一部マスコミは、日韓間の認識ギャップを拡大させ、感情的なあつれきを政治的な大衆動員の道具として利用する韓国政府を厳しく批判し、それから日本の読者に向けて、韓国政府と韓国人を峻別し、韓国政府に対する反感を韓国人に向けないようにと説くべきだった。

 おそらく日韓間の感情的あつれきは今後も長く存在するだろうし、韓国政府は独自の歴史観を保持し続けるだろうから、いつまでも日韓間の認識ギャップは埋まらないだろう。双方に寛容の精神がなく、相手を尊重する精神もなく、互いに嫌い合うだけというのが日韓の未来かもしれない。その時にマスコミは、嫌韓を嘆いていた昔を懐かしみ、「あの頃ならまだ、関係改善の糸口はあった」とするのかな。