望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

国家を分類

 現在の世界では、欧米諸国などの民主主義国と中国やロシアなどの権威主義国の対立が先鋭化し、政治や経済における対立にとどまらず、両勢力の代理戦争が世界各地で始まった。この対立は民主主義体制と権威主義体制(個人や組織が権力を独占的に掌握する体制)の勢力争いと解釈されたりする。

 20世紀には、欧米諸国などの民主主義国とソ連や中国などの共産主義国の対立が先鋭化し、世界各地で両勢力の代理戦争が起きた。この対立は冷戦と呼ばれ、両陣営が交戦するならば核兵器が使用され、世界は大規模な破壊により壊滅的な損害を被ると危惧された。だが、両陣営は直接には政治的な対立を続けるにとどまり、冷戦は両陣営が世界を分割支配する仕組みであると見ることもできた。

 現在の民主主義国と権威主義国の対立は、価値観をめぐる対立であると解釈されるが、今回も両陣営が世界を分割支配する争いであるかもしれない。20世紀と異なるのは、第一に中国の経済大国化により欧米諸国の経済的優位が失われ、第二に欧米諸国などが掲げる民主主義などの理念が普遍的とは必ずしも見られなくなり、第三に中国の世界における影響力が増大したーなどだ。

 現在の両陣営の対立が、直接の交戦を回避するとの暗黙の了解に基づくものならば世界の分割支配を目指す動きと見ることができる。第三次世界大戦は避けられそうだと安心したいが、冷戦期と同様に両陣営の代理戦争が世界各地で頻発する可能性がある。また、遅く大国化した中国が領土拡大の誘惑に逆らえずに直接の武力行使に動くならば、両陣営の対立が先鋭化するだろう。

 国家の分類は様々ある。英仏など西欧諸国が世界で植民地獲得に励んでいた頃、西欧は世界を文明国・未開国・野蛮国に分け、野蛮国を文明国である欧州諸国が植民地支配することは正当とし、中国などの未開国にも(西欧)文明の成果を及ぼすとの大義名分を掲げ植民地支配しようとした。西洋文明が現在も世界的に先進的な文明と見なされていることが西欧諸国の国際的な影響力を支えている。

 先進国と発展途上国との分類もある。経済発展や経済力で国家を評価するのだが、先進国は欧米諸国と日本だけという構図が中国の台頭によって崩れた。中国には世界に誇る独自の価値観が希薄で、欧米の民主主義に対抗できる価値観を提示することはできていないが、経済成長に伴う圧倒的な資金力によって影響力を拡大している(債務のワナとの指摘も絶えないが)。

 富裕国と貧困国との分け方もあり、政府の統治機能が維持されている国と破綻国家という分け方もある。英語が通じる国と英語が通じない国との分け方もあるが、これは米英の影響力拡大に寄与する分類法だ。かつて文明国と野蛮国などに世界の国々を分けたのは欧州であり、分類して整理するという自然科学の手法を国家にも適用した結果だった。欧州は世界を分類して整理するという方法論で影響力を保っている。

大使館を侵害

 エクアドルの首都キトにあるメキシコ大使館に4月5日、エクアドルの警官隊が強行突入し、エクアドルのホルへ・グラス元副大統領を逮捕・拘束した。同氏は汚職疑惑で逮捕状が出されていて亡命を求めて同大使館に逃げ込んでいた。暴徒となったデモ隊が不可侵とされる大使館を襲った事例は各国でもあるが、警察という公権力が大使館に踏み込んだのは異例だ。

 エクアドル大統領府は「エクアドル主権国家であり、いかなる犯罪者も野放しにはしない」と主張したが、メキシコは猛反発し、「元副大統領は迫害と嫌がらせを受け、難民として亡命手続き中だった」「これは明白な国際法違反でメキシコの主権に対する侵害だ」と主張、メキシコはエクアドルと断交し、エクアドル国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。

 グラス元副大統領は昨年12月からメキシコ大使館に滞在しており、5日に亡命が許可された。グラス元副大統領は2017年にブラジルの建設大手が絡んだ汚職事件に関連して1350万ドル(約20億円)の賄賂を受け取ったとして禁錮6年の有罪判決を受け、釈放後の2022年に別の汚職疑惑で逮捕状が発行されていたという。

 犯罪組織が跋扈し、暴力事件や刑務所での暴動が頻発するなど治安が悪化しているエクアドルでは、学校は閉鎖されて授業はオンラインで行われ、2023年の大統領選では政府の汚職や組織犯罪を追及してきた候補者が銃撃されて死亡した。報道によると、豊富な資金力を持つメキシコやコロンビアなどの麻薬密売組織がエクアドルの組織と連携し、軍や警察を買収して各地の刑務所を麻薬取引の拠点にし、犯罪組織は各地の商業施設や公的機関、病院や学校に対しても「みかじめ料」を払うよう要求するという。

 メキシコも麻薬密売組織の活動が活発で、外務省HPは、複数の対立する武装麻薬組織(麻薬カルテル)や地元密着の犯罪グループによる「各組織間の銃撃戦や、政府・治安機関に対する襲撃等が頻繁に発生」し、活動地域は「主として北部国境地域や太平洋側の主要港湾、米国につながる内陸の主要幹線道路沿いの地域など」で、「麻薬の密造や密輸、密売等の麻薬関連犯罪や人身売買、誘拐、恐喝」に加え、みかじめ料(通行料や場所代など)の要求等と犯罪活動の幅は広く、大都市や観光地でも活動していると注意を呼びかける。

 大使館といえば4月1日、シリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館に隣接する領事部がイスラエルに攻撃され、現地司令官ら13人が死亡したという。イランの最高指導者ハメネイ師は「わが本土への攻撃と同じだ」「邪悪な政権は過ちを犯した。罰せられなければならない」と報復を宣言、イランは14日、イスラエルへ多数のドローンとミサイルによる攻撃を行った。

 ジュネーブ条約第22条で大使館は不可侵とされている。不可侵とは、侵害( 他人の権利や利益を侵し損害を与えること)をしてはならないということ。エクアドルイスラエルジュネーブ条約を締結しているが、他国の大使館を公然と侵害した。国際的な批判が限定的だと見えるのは、国際秩序が揺らいでいるからか、国際秩序が建前に過ぎないことを各国が承知しているからか。両国の行為が放置されたなら、同様の行為に歯止めはなくなるだろう。

新型コロナと日常

 新型コロナウイルスの扱いが昨年5月から5類感染症に変更され、「通常」の病気扱いとなった。政府が感染者や濃厚接触者に外出自粛を求めることはなくなり、感染対策は個人の判断に委ねられ、感染の疑いがある人は特定の病院ではなく多くの病院での受診が可能になった(医療費は自己負担)。ワクチンの無料接種は終了し、自己負担となった。

 街中ではマスク着用者はいるものの、マスクを着用しない人が大幅に増え、飲食店などには賑わいが戻り、長い自粛期間の閉塞感の反動か国内での旅行需要が活発となり、海外からの観光客も加えて各地の観光名所は大混雑となっている。海外クルーズ船の日本寄港も新型コロナ流行以前に戻り、すっかり新型コロナ前の日常を回復した様相だ。

 新型コロナの感染は続いているが、インフルエンザの流行状況のほうが大きく報じられる。厚労省は毎週、新型コロナの発生状況を公表していて、最新の状況(4月1~ 7日)は、1医療機関当たり平均患者数は4.26人で9週連続で減少だ。10人を超えたのは秋田県で、青森県宮城県秋田県が8人台と北東北で感染者が多い。一方、東京都、広島県山口県愛媛県高知県、福岡県、熊本県が2人台と西日本で感染者が少ない県が目立つ。

 ただし、この感染状況は医療機関を受診した人数なので、現在は症状があっても受診しない人が少なからず存在する可能性があり、実際の感染状況をどれだけ正確に反映しているのかは不明で、大まかな傾向を表すものだ。なお、最新(4月1~ 7日)の入院患者数は1790人で、60歳以上が8割以上を占めるが、ICU入室や人工呼吸器の利用は全体の7%弱。

 新型コロナの流行で世界でも日本でも多数の死者を出した。未知の病気に怯えた当時の人々は世界各国で政府の厳しい対策に従ったが、経済活動が縮小し、多くの人々が離職を余儀なくされた。外出自粛が呼びかけられる中で医療従事者や介護福祉士、保育士、教職員、物流業者、清掃員、小売などの販売員、公共交通や電気・水道など生活インフラの従業員、ゴミ収集作業者、農業・漁業などの従事者、金融機関の職員などエッセンシャルワーカーとされる人々が社会を支えていると見直され、外出自粛の中で業務に精励する人々への賞賛の声さえ上がった。

 その一方、需要が激減したバスやタクシー、ホテルなど宿泊関連では人員削減が広がり、新型コロナ前の日常に戻ってみると運転手不足や人員募集難などが顕在化し、新型コロナ後遺症は尾を引いている。真っ先に人員整理の対象になった人々が、新型コロナ前の日常に戻ったからといって、以前の職業に戻ることを歓迎する気にはならないだろう。新型コロナは人々の心情を変化させ、社会の変化を促した。

 新型コロナは世界で、日常が実は不安定な状態にあることを可視化した。今日と同じ穏やかな明日があることを当然だと人々は思っていただろうが、新型コロナは日常がいつでも非日常に転換することを示した。日本などの人々は地震により穏やかな日常が簡単に失われることを知っているだろうが、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻など地域紛争によっても膨大な人々が穏やかな日常から非日常に放り出された。新型コロナは、平穏な世界でも日常と非日常が紙一重であることを知らしめた。

菩提を弔う

 菩提を弔うとは「死者の冥福を祈って供養を行う」ことだ(菩提は「煩悩を絶って得た無上の悟りの境地。仏果を得て極楽往生すること」で、菩提心は「仏道に入り、真の道を求める心。仏心、情け心」)。冥福は「死後の幸福。後生」で、後生は「仏教でいう死後に生まれる世界。来世」だ。弔うとは「人の死を悲しみ悼む。死者の霊を慰めるために法事を営む」。

 供養とは「仏前や死者の霊前に有形・無形の物を備え、加護を願い冥福を祈るための祭事を行うこと」で、法要を行ったり、香華や飲食などの供物を捧げたり、仏壇に花を供え、線香をあげて手を合わせたり、お墓参りすることなどが具体的な行動となる。これらの言葉は仏教に由来するものだが、もう日本では宗教用語としてではなく、一般化した風習として受け継がれているようだ。

 死後に来世があると考えないのなら、死者の冥福を祈る行為は無意味だと考えるだろうし、さまざまな供養を行うことも無意味になる。死後に来世があると考えないなら仏教の全ての行事が無意味と見えようが、そう考える人の多くもおそらく、死者を送る日本の風習だと思って供養を行い、菩提を弔う行事に参加している。そこでは供養の様式よりも死者を弔う気持ちが優先する。

 葬式や法要の様式は仏教でも宗派によって異なる。様式は人間が考え、受け継がれてきたものだから宗派が異なれば異なる儀式が発案され、それがその流派の正式な作法となった。葬儀や法要の様式はブッダが決めたものではなく、国により宗派により異なる形態となる。共通するのは葬儀や法要は、生きている人々が亡くなった人を弔うためにある行事であることだ。

 全ての人間に死は訪れる。おそらく古代から人類は、死による親しい人との別れを特別なこととして、さまざまな弔い方を行ってきたのだろう。死という概念を理解できなかったかもしれない古代の人々は、親しかった人との別れの悲しみを儀式化することにより集落など共同体で別離の悲しみを共有し、それが儀式化されて受け継がれた。

 死者を弔うことは人類共通の行動だろうが、世界では多くの国や宗教があり、それぞれに死者との別れが儀式化され、それぞれに葬儀や法要の様式がある。葬儀や法要の様式を共有することで人々は、死者に対する供養を行い、死者に対する敬愛や尊敬などの気持ちを示したと互いに確認もできる。

 死後の世界や来世を信じない人が増えた現在でも世界で葬儀や法要が、宗教など以前から受け継がれてきた様式に則って行われることが多いのは、それ以外に死者を弔う一般化した様式がないからだろう。無神論者のための葬儀や法要の様式は存在しないが、死者を弔うことに関心がもっと薄れたなら直葬などが増えるかもしれない。

現実離れの施策

 新函館北斗駅から函館駅への北海道新幹線の乗り入れは、2030年の北海道新幹線の札幌への延伸開業と同時に実現することを目指しているという。すると、2030年の北海道新幹線の札幌への延伸開業の前に、新函館北斗駅函館駅間の三線軌条化の工事などが行われ、新函館北斗駅函館駅間を在来線の列車が走行することはできない。

 三線軌条化とは、在来線は狭軌(1067mm)であり、新幹線は標準軌(1435m m)であるため、狭軌の2本のレールの外側にレールを1本加えて、在来線も新幹線も走行できるようにしたものだ。新幹線も貨物列車も走行する青函トンネルなどで実際に存在している。

 新函館北斗駅函館駅間は現在、狭軌で特急「北斗」や普通列車、貨物列車が走っているが、新幹線を走らせるためには全面的な工事が必要になる。現在の枕木は狭軌に対応したものなので、標準軌のレールを加えるには長い枕木に交換する必要があり、場所によっては地盤の強化も必要になるだろう。現在の狭軌の外に1本のレールをただ設置すればいいいという安易な発想は通用しない。

 これは新函館北斗駅函館駅間を全面的に作り直す工事になり、相応の期間を要する。その工事期間中は、札幌駅から来た特急「北斗」は新函館北斗駅止まりとなり、函館に向かう乗客は車かバスに乗り換えることを強いられ、札幌などに向かう乗客は函館から新函館北斗駅に車かバスで向かうことを強いられる。路線バスが函館駅新函館北斗駅を結んでいるが、かなり時間を要することに加え、本数が少ないのでバスは相当の混み具合になり、多くの乗客は立ったまま我慢を強いられよう。

 道内の各地から来た貨物列車は大沼駅七飯駅を経由して五稜郭駅に着き、そこから海峡線を経由して本州に向かう。新函館北斗駅函館駅間には七飯駅五稜郭駅があり、工事期間中は貨物列車の運行が止まるだろう。北海道新幹線の札幌延伸開業に伴って長万部駅以南の並行在来線の存続が議論されているが、道内から本州への貨物列車の運行を確保することが重要視され、貨物専用線としての存続が有力視されている。

 だが、新函館北斗駅から新幹線を函館駅に走らせるための工事で、貨物列車が運行できないとすれば長万部以南の並行在来線の存続議論に影響を与える可能性がある。加えて、道内各地からの貨物列車は大量の野菜などを本州へ運んでいるのであり、函館駅への新幹線乗り入れ工事のために貨物列車の運行がストップしたなら、道内各地の生産者から函館市は厳しく批判される。

 新幹線の函館駅乗り入れは、特急「北斗」を利用する人々に過大な迷惑をかけ、貨物列車の運行に支障をきたす愚かな施策といえる。こうした施策のためにコンサル会社に大金を払って調査させたり、市役所職員を動員して案を具体化させたりするのは壮大な浪費でしかない。北海道新幹線をPRして観光客を増やしたいのなら、北東北各県と協力して「北東北〜道南」観光キャンペーンを首都圏で頻繁に展開するほうが効果があるし、すぐにでも実行できよう。

空回りする自治体

 北海道新幹線が開業したのは2016年3月。新函館北斗駅函館市に隣接する北斗市にあり、新幹線の乗客はリレー列車「はこだてライナー」に乗り換えて函館駅に行く(所要時間は快速15分〜普通19分)。札幌への延伸開業が2030年に予定され、新幹線のルートは函館市を通らず、大きくカーブを描いて北に向かって設定された。

 新幹線の駅と少し離れている観光地は全国に多くあり、乗り換えてからの20分程度の移動は気にする必要はない。だが、「新幹線が来なかった」ことを過剰に残念がる人々が全国にいて、新幹線が通り、その駅が市内に誕生すれば観光客がどんどん増えると期待を膨らませる。

 新幹線の函館駅への乗り入れを掲げて当選した現市長は公約実現へ動く。新函館北斗駅から函館駅まで新幹線を走らせようと、東京のコンサル会社に委託して調査させ、技術的には可能だが、新幹線の函館駅乗り入れには157億~169億円の整備費がかかるとした(三線軌条化の工事や五稜郭駅の改修工事、運行管理システム改修を含む電気関係設備費など)。ただし、この種の試算は机上の計算であり、実際の工事費が膨れ上がることは珍しくない。

 新函館北斗駅に停車する新幹線を函館駅に向けて走らせるには、それまでの進行方向と逆方向に走らせなければならない。後方の車両を切り離して函館駅に向かわせる方式などが考えられるが、車両を所有するJR北海道は苦しい経営が続いており、函館駅に向かう短距離を走らせるために函館駅に向かう短い編成の車両を製造する可能性は低い。函館市が全額負担するしかないだろう。

 新幹線の函館駅乗り入れの経済波及効果をコンサル会社は年間114億~141億円と試算した。ここには、新幹線が札幌まで開通することにより期待される交流人口の大幅増加も加味されているという。新幹線開業に伴って貨物専用線になる可能性が大きい在来線の特急からの乗客移行による売上増加分が含まれているのなら、新幹線の函館駅乗り入れの正味の経済波及効果はもっと少ない。

 人口減少が続き、大型商業施設の閉鎖が相次ぎ、企業進出も目立たない函館市は観光に活性化を頼るしかないのが現状の経済事情だ。新幹線の函館駅乗り入れで期待される観光客の増加が、人口減少による圏域の消費の停滞をどこまで補うことができるのか不透明だ。函館市のような人口減少が続く自治体が取り組むべき最優先の施策は、人口減少に歯止めをかけるとともに移住者を増やし、消費力を高めて経済規模の縮小を食い止めることだろう。

 ウケる公約をと「新幹線の函館駅乗り入れ」を掲げ、市長に当選してしまったために引くに引けない状況に追い込まれたと見える。コンサル会社に大金を払って調査させ、公約の実現に向けて努力したが、JR北海道が難色を示したので「計画は断念します」と1年くらい先に言いそうだ。人口減少に正面から向き合わない地方自治体の施策は空回りする。

部分と全体

 「東京で雨が降っている」という情報を見た時に、東京都の全体で雨が降っていると思う人もいるだろう。だが、23区で雨が降っていても八王子や立川など西部では雨が降っていなかったり、23区内でも、雨が降っていたり降っていなかったりとバラツキがあるのは珍しくない。雨雲の面積が東京都を覆うほど広ければ全域が雨になり、雨雲の面積が小さければ雨が降る地域は限られる。

 ジグソーパズルは多数のピースで構成されているが、ピースは部分であり、すべてのピースが組み合わさって初めて全体の絵柄がわかる。一つのピースの色や模様がジグソーパズル全体を表していると思う人はいないだろう。ジグソーパズルなら部分と全体の混同は起きないだろうが、断片的な情報が全体を示すと混同して受け止めることは珍しくない。

 そうした混同は受け手の即断などによるものも多いだろうが、部分と全体の混同を狙って生じさせる情報がある。特定の全体像に誘導するために都合のいい情報ばかりを並べる一方、都合の悪い情報には触れずに済ませるか否定的に扱う。うっかり無批判にそうした情報を受容し続けると特定の全体像に誘導されよう。

 部分と全体の混同は、事実認識を阻害する。事実の1部分だけが切り取られて、提供される情報が全体を表す情報であるかのように流通し、それを検証せずに無批判に受け入れたりすると、簡単に情報操作のカモになる。ある情報が、それは部分を表すのか、全体を表すのかの見分けがつかなければ、情報操作に抗うことは難しいだろう。

 新聞やテレビなどでは部分についての情報が溢れるが、全体についての情報はそう多くはない。全体についての情報は記者のコラムや寄稿などで示唆されることがあるが、必ず全体について示しているとは限らない。一方、SNSなどでは部分についての情報も全体についての情報も流れるが、客観性については担保されないことが多い。

 何が部分についての情報で、何が全体についての情報かの見分けがつかなければ、港区から中央区にかけて降っているだけの雨を東京全体で降っていると思い込んだりする。正しいとされる情報が示すものは部分か全体か、それを判別することが、簡単に情報操作されないためには欠かせないポイントだ。

 部分の集合が全体になるが、部分が全体を表すとは限らない。SNSやテレビ、新聞などで溢れる情報は部分についての情報が多いようだが、それを全体についての情報だと受け止めると現状認識や世界認識などが歪むこともあり得る。日々接する情報はジグソーパズルの1ピースだと常に意識することが欠かせない。