望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

別のを探せ

 「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰」とは織田信長の言葉で、秀吉はどう、家康はこうと伝えられている。本当に三人がそう詠んだのかどうかは知らないが、三人の性格をよく表す言葉として有名だ。

 ここに一つ加わった。誰が書いたものか失念したが、「鳴かぬなら別のを探せ不如帰」。うーん、今のある種の気分を言い当てている。そこで、この人ならこう言いそうだというのを考えてみた。

 「鳴かぬならどっかをくすぐれ不如帰」。これは演出家か映画監督か。黒沢明なら「鳴かぬなら今日は中止だ不如帰」となるだろうから、先のは時間や経費に縛られている誰かだな。「鳴かぬならそのシーンカット不如帰」なんてのは、よくありそうだ。

 「鳴かぬなら査定にひびくぞ不如帰」。あちこちの企業から頻繁に聞こえてきそうだな。能力主義の導入が社員のやる気を刺激するとか流布されているが、実態は社員の尻叩きを正当化するものでしかない。本音は「鳴かぬなら給料カットだ不如帰」か。

 「鳴かぬなら部品を替えよう不如帰」。これはエンジニアの言かもしれないが、パソコンマニアかもしれない。いや、パソコンマニアなら「鳴かぬならソフトを替えよう不如帰」となるか。すると、死んだ昆虫を見て「電池がきれた」と言った子供が不如帰を見て詠んだ?

 「鳴かぬなら静粛を愛でよう不如帰」。これは達観している人かね。具体的に誰かとなると思い浮かばないが。

 「鳴かぬなら返品しよう不如帰」。これは犬猫をペットショップで買うという都会の子供が言いそうだ。「鳴かぬなら電池を替えろ不如帰」とか「充電しろ」なんて言うよりは、ましか。 

 「鳴かぬならゲームをしよう不如帰」。現代は遊ぶものがたくさんあるから、いつまでも不如帰を見ていることもないということか。「鳴かぬならインコにしよう不如帰」なんて交換されてしまう。鳴くまで待ってはくれない。

 「鳴かぬなら声帯手術だ不如帰」なんてのは怖いね。鳴かないのも個性だと見てもらいたいものだ。そのうち「鳴かぬなら遺伝子操作だ不如帰」なんてことになったりして。

 「鳴かぬなら飯はやらんぞ不如帰」って言ったって、不如帰にそんなこと解るはずがないだろう。