望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

難民と移動の自由 

 こんなコラムを2001年に書いていました。 

 アフガニスタンでの空爆や戦火が激しくなるにつれて、危惧されていた難民の周辺国への流出が増えているようだ。テロへの仕返しにアメリカが軍事攻撃をし、戦火を逃れて難民が流出すると、今度は人道支援だと各国政府が援助する。見事な連係プレーだと言うべきか。

 ところで難民は、かわいそうな人々だと報じられる。彼らの生活の困難さは確かに援助を必要とするのだろうが、別の視点で考えてみたい。

 アメリカは多民族国家である。移民で成り立った国と言ってもいい。人種、民族のまちまちな人々が世界から集まり(アフリカ系の人々のように強制もある)、習慣、習俗、風習、伝統などの異なる人々が互いに共存して生きることを、時には鋭い対立の歴史も含みながら模索して来た国である。

 世界史的に考えると、戦火が各地で絶えなかったと同時に難民も絶えなかった。ただ、以前は国境がもっと緩やかで人々の移動に現在より制約は少なかった。端的に言うと、人々が国を選んで移動することができた。

 移動の自由は現在でもあるにはあるが、例えばアメリカに誰でも住むことができるわけではない。物理的に行くことが出来たとしても、入国審査があり、永住権審査がある。自由を最上の価値とするらしきアメリカにおいても、その自由は世界中の人々に公平に分け与えられているものではなさそうだ。

 しかし、国家が国家の論理で空爆をし、国境で人々を縛るのなら、人々は個別の生存権に基づいて行動することでしか国家のくびきから抜け出せない。過去の歴史にあったように、世界各地で難民がさすらう民となって、国境を越えて移動することが、戦火に追われた人々の唯一の国家への対抗策だろう。

 そうなると、いわゆる先進国に移動先が集中することになろうが、住みやすい環境を先進国が自国にだけつくってきたのだから、当然の帰結とも言える。経済難民についてはさておくとしても、今回のアフガニスタン難民を含め政治難民アメリカをはじめEU、日本などに続々移動するなら、アメリカはじめ各国はもっと慎重にならざるを得なかっただろう。

 小泉さん、せっかくアジア最大の輸送艦を派遣するのなら、帰りに日本への移住を希望するアフガニスタン難民を連れ帰ったらいかがですか。単一民族の幻想にしがみついているよりは、日本も多民族国家を目指すとはっきりさせ、世界からいろいろな人々を迎え入れたなら、アメリカのような活気が出て来るかもしれないよ。