望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

南北対立にとりあわず

 こんなコラムを2002年に書いていました。

 米国によるアフガニスタン攻撃は、南北対立が国際政治の主要な問題ではなくなったことを示すものです。

 南北対立つまり「南」側の発言力を無視できなかったため、アメリカは自国優先の孤立化傾向を強めていましたが、同時多発テロという米本土が直接狙われたことにより、軍事力ではもとより、国際政治上でも「アメリカにつくのか、つかないのか」と欧州、日本、ロシア、中国を主な対象に踏み絵を迫り、旗幟を鮮明にさせ、「南」側を押さえ込むことになりました。米軍のアフガニスタン攻撃には、アメリカ(と「北」側)への直接攻撃は許さないという意味が含まれているのです。

 もちろん国際会議などでの「南」側の発言が抑えられることはありませんし、道義的に「南」側への「北」側の配慮は従来同様行われるでしょうが、「北」側が自由競争、優勝劣敗一色に染まりつつある中で、政治的に「北」側が「南」側に配慮する意義が薄れています。

 もちろん「北」側がどんな態度をとろうと、「南」側の置かれた現実が変わるものではありません。「南」側は従来同様に声を上げるでしょうが、「北」側のマスコミが伝えなければ「北」側の世論は動きません。世論が動かなければ「北」側の政府も動きません。しかし、同時多発テロを見せつけられ、さらにはアルゼンチンでのデフォルトなども続き、「南」側の国家に問題があるのじゃないか、解決すべきことをやらずにいるのではないか、といった不信感が重なると、さて「北」側の世論が「南」側にいつまでも同情的であるのか懸念されるところです。

 日本を含め「北」側では貧富の差が拡大しています。国際的にも南北格差は拡大しています。対立の根は存在し続けます。始まったばかりの21世紀ですが、「平等」をテーマに、「北」側国内でも国際政治においても、一波瀾も二波瀾もありそうです。