望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

駒ヶ岳という名称

 全国に駒ヶ岳という名称の山は多数ある。山の形が馬を連想させたので名付けられたのだろうが、各地で人々が同じような連想をしたのは、農耕や運搬などで馬が重要な役割を務め、身近な存在だったからだ。日常から馬が消えた現代人が山を見ても馬を連想しにくいだろうが、かつて馬が人々の大切なパートナーであった時代を想像することはできよう。

 北海道にも駒ヶ岳がある。渡島半島にある駒ヶ岳は標高1131mの活火山だ。七飯大沼国際観光コンベンション協会HPによると、▽かつては富士山のような円錐形の山容をしていたが、5万年から3万年前の大噴火により山頂部分が崩れ落ちた、▽1640年の大噴火により剣ヶ峰、砂原岳など複数の急峻な頂となだらかな裾野を合わせ持つ現在の姿になった、▽駒ヶ岳は見る位置によって様々な姿を見せ、四季折々の景色を趣の異なる姿で楽しむことができる。

 また、大沼国定公園情報発信システム運営協議会HPによると、▽駒ヶ岳はかつて富士山のような円錐形の1700mほどの火山だった、▽1640年(寛永17)の大噴火によって山頂部が崩壊し、火口原を取り巻く外輪山として主峰の剣ケ峯(1131m)、砂原岳(1113m)、隅田盛(892m)、稜線の駒ノ背(約900m)、馬ノ背(約850m)が形成された、▽1856年(安政3)の大噴火、1929年(昭4)の大噴火、1942年(昭17)に中噴火、1996年(平8)と1998年(平10)に小噴火を起こした。

 ▽駒ヶ岳は、くりかえし噴火した溶岩と火砕岩が交互に重なってできた円錐形火山(成層火山)、▽東方と南方山麓には、1640年の大噴火で火山体の一部が崩壊し、高速でくずれ落ちて堆積した(岩屑なだれ堆積物)。大小さまざまな丘が散在する「流れ山」地形を形成した、▽駒ヶ岳南麓の大沼や小沼は、この岩屑なだれが谷を埋め、河川をせき止めたりして成りたったもの、▽大沼や小沼の湖中に点在する大小の島々も、数度の大噴火の際の岩屑なだれがつくつた流れ山。大沼周辺一帯には多くの流れ山が分布している。

 噴火を繰り返す駒ヶ岳は、見る方向によって異なる山容となる。大沼公園など南側から見ると、平べったい台形で左上部に主峰の剣ケ峯が少し突き出ている。なだらかな山裾のラインが途中で途切れているように見え、かつての円錐型の姿を想像させる。東側や北側から見ると、山頂がえぐられたように見え、繰り返す噴火で形成された荒涼とした山肌が広がる。

 駒ヶ岳函館山の山頂からも見える。その函館山は臥牛山とも呼ばれる。臥牛とは地面に腹をつけて座り込んだ牛のことで、全国の天満宮には臥牛像が祀られている。三方を海に囲まれた横長の函館山を牛が座り込んだ姿と連想したのは、牛が身近な存在であった人々だろう。

 円錐形でもなく突き出た山頂もない横長の山の形から馬や牛の姿を昔の人々は連想した。そうした山の形から犬や猫の寝そべる姿を連想しても不思議はないのだが、人間よりはるかに大きな山の形から、人間より小さな動物ではなく馬や牛などを思いか浮かべた人々。おそらく馬や牛に対する信頼がそこには含まれていただろう。