望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

つけ足し主義

 ロシアや中国は最近、民主主義や自由など欧米の価値観を受け入れることへの反発を隠さなくなった。ロシアや中国には独自の歴史的に培われた価値観があり、それを優先すべきであるとする。もちろん、そこには民主主義や自由など欧米の価値観を受け入れたなら、現在の政治体制が揺らぎ、独裁的な権力の維持が難しくなるという現実がある。

 日本は民主主義や自由など欧米の価値観を1945年以来、社会の基本として受け入れた。日本にも独自の歴史的に培われた価値観があるのだが、それと欧米の価値観は激しく反発し合うことはなく、かといって欧米の価値観ですっかり日本社会が塗り替えられたというわけでもなく、日本独自の価値観と欧米の価値観はうまく「棲み分け」ているように見える。

 日本と現在のロシアや中国を比べると、ロシアや中国の独自の価値観のほうが日本の独自の価値観より強固なように見える。だが、欧米の価値観を受け入れながら揺るがない日本の価値観のほうが強固であるかもしれない。あるいは、政治制度だけに欧米の価値観を入れ、そのほかは独自の価値観を維持した日本の歴史的な、ある種の成熟の成せることであったかもしれない。

 外国からの価値や制度の導入について、日本は積み重ね主義、つけ足し主義だと加藤周一氏は論じた(「日本文化の特殊と普遍」=渡辺守章氏との対談、1980年。『加藤周一対話集①』所収)。関連する個所を以下引用する。

 ・日本で「能・狂言と初期の歌舞伎があるところに18世紀ころから人形劇が出てくる。ところが演じられる場所は移るにしても人形劇によって能・狂言が駆逐されることはない。前からあるものに新しいものをつけ足していくわけです。歌舞伎でも近松のころの浄瑠璃とは違った形の忠臣蔵などが加わってくる。さらに時代が下ると新劇まででて来て、いまや能もあれば人形劇もある、歌舞伎もやっていれば、新劇や前衛演劇もやっているという事態になった」
 ・「どんどん足していって、何にも消えない、一度できたものはね」

 ・「こういうことは、いろんな芸術のジャンルでも見られる。つけ足し主義、積み重ね主義であって、決して入れ替え主義じゃないが、もっと根本的には、価値の体系が入れ替わらないということだ。前の価値体系に新しい価値が加わって、価値が重層的になるだけだ。
 日本にも大きな制度上の断絶はあった。たとえば明治維新とか1945年。しかしそのたびに、新しい価値体系によって支えられた新しい制度が、古い価値体系によって支えられた古い制度に入れ替わったというんじゃない。制度は変わるかもしれないが、価値は重なっていくことがある。
 ・このことは、外国からの価値や制度の導入を容易にする。新しい制度を入れるときに同時に新しい価値も入れると、古いものとの間に対決が起こって、どちらかを拒否せざるを得なくなる。ヨーロッパがそうだ。つけ足し主義で、足りないところを外から入れると平和裡に導入が行われる。中国では近代化がどうして遅れたか。近代化すると、近代的な価値体系と制度が古いものと対決して血を流すようになるからだ」

 ・中国では近代的な価値体体系と制度が「いったん入ってくると徹底的に入ってきて、以前のものがずるずると生きのびることはない。中国型とヨーロッパ型が似ていて、日本型がその点では違う」

 日本が1945年以来、欧米の価値観を政治制度に受け入れたのは、明治以来、欧米の法体系、学問、文化などを積極的に受け入れて来たという下地があったからだろう。ロシアや中国には独力で近代化(欧米化)を実現できなかった過去があり、それが欧米の価値観を受け入れることへの反発につながっているのかもしれない。