望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

転向する世代

 『渡邉恒雄 メディアと権力』(魚住昭著)が講談社文庫に2003年に入ったときに、魚住氏と玉木正之氏の対談が付け加えられた。その中に次のような一節がある。

魚住「いま起きていることって、世代論で簡単に言うと団塊の世代の転向現象なんですよね。(中略)団塊の世代、反権力をあれだけ若いころ言ってた人たちが、いま、ものすごく権力的になっているという状況なんです」

玉木「まだ革命という言葉を心の底のどこかにもっている人たち、ある意味でナベツネさんの思考性に非常によく似た人たちが団塊の世代にはいるんじゃないか。その人たちが今、組織の上の方にいてナベツネ的なるものと結びつく」

(中略)
魚住「みんな、かつての志を忘れていますよ。じゃ、なぜ彼らは志を忘れたか。ひとつは自分の保身。ひとつは、かつて彼らが抱いた志みたいなものが、嘘だったんですね。嘘というか」

玉木「ムードだった」

魚住「そう。だから、自分たちがある程度部下をもって、ある種組織の上のほうになっていくと、そこの部分がもろに出てきて、すごく権力的なことをやりだす。かつてもっていた理想みたいなものは、もうきれいさっぱり忘れてしまうという状況が、蔓延してるんじゃないですか」

玉木「ある意味でナベツネという人も転向した人という言い方ができると思います。彼を第一次転向者とすると、何世代か後の第二次転向者=団塊の世代が、合体して動いている感じですね」

 日の丸・君が代強制法に始まり、ガイドライン有事法制、おまけに盗聴法やら総背番号法など公明党の後押しもあって国会で簡単に成立したが、それらを容認する社会的雰囲気の根にあるものが団塊の世代の転向だったか。

 団塊の世代の転向って言い方をすると、何か思想的なもののような気もするが、勿体ぶらずにはっきり言うと、かつて彼らが批判した反動に団塊の世代がなったということ。