望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

そういう考えもある

 特定の世界観に基づいた理論や主張を振り回したり、押し付けてくる人々がいる。特定の世界観の代表は宗教だろうが、理想とする政治や社会体制を特定の世界観に仕立て上げて賛同者を集めたり、反対者を批判・攻撃する政治運動もある。また、陰謀論に基づく世界観もあって、それぞれに壮大な理論体系を構築して勢力拡大に励んだりする。

 特定の世界観に基づく理論や主張は、例えば、1神教では全能の神の存在を無条件に認めることを基礎に組み立てられ、マルキシズムでは社会に階級対立があるとの認識が基礎になり、陰謀論では何らかの陰謀が進行しているとの認識が基礎になる。だから、いくら壮大で精緻な理論体系であろうと、基礎の部分を共有できない人々には受け入れ難い。

 それらの理論や主張を振り回す人々は、神を信じる必然性や革命の必然性などを言い立てたりし、賛同しなかったり反対する人と険しい議論や言い合いになったりする。特定の世界観に興味も関心もない人にはうるさがられるだけだろうし、特定の世界観の押し付けだと受け止められもする。

 それらの理論や主張を振り回す人々が知り合いだったりすると厄介だ。簡単には拒絶できず、気の弱い人なら曖昧にやり過ごそうとし、別の信仰や理論などを持つ人なら同意できないと穏やかに主張し、気が短い人なら言い合いになったりする。それらの理論や主張を振り回したり押し付けることに熱心な人々に出会うと、態度が強引だと見えたりし、そうした態度に反発を感じる人もいるだろう。

 自分の考えと違う理論や主張を冷静に聞くためには「そういう考えもある」と、同意も納得もしないが、相手が主張することは許容する態度が有効だ。特定の世界観を否定も肯定もせず、「そういう考えもある」と受け止める。否定でもなく肯定でもなく、特定の世界観に基づく理論や主張の存在は認める態度だ。

 同意も納得もしない主張や論理を許容するためは、それらを理解することが前提となる(理解できない理論や主張に対して、許容するのは屈服か自己欺瞞であろう)。理解しても全否定でも全肯定でもなく、部分否定でも部分肯定でもなく、「そういう考えもある」とするのは、そうした理論や主張や世界観を面白がることである。

 「そういう考えもある」との態度は相対主義と似るが、特定の世界観による理論や主張を理解はしても肯定も否定もしないのだから、相対主義ではない。何でも記事にしようという取材者の立場に近いかもしれない。カントを読んでも「そういう考えもある」、ニーチェを読んでも「そういう考えもある」、マルクスを読んでも「そういう考えもある」などと対応できれば世界を見る目は広くなろう。