望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

国のかたち

 人はなぜ国家を欲しがるのでしょうか。別の言い方をします。人はなぜ国家に帰属したがるのでしょうか。現実には国際政治が国家を単位として行われていますし、身の回りの生活の様々な場面で国家の関与が存在するのも確かです。ただ、どうも国家に対して必要以上に“思い入れ”る人々がいるようです。

 歴史的に見て国家が、最初から民主的な機構として成立していたところは少なく、多くは、有力者の勢力争いの結果としての専制国家や強権国家を経て、近代になって民主国家になりました。そうした過程で、支配を正当化するために、支配者や支配集団ではなく、対象を国家にすり替えて忠誠心を煽りました。その残滓が拭いきれていないようです。

 例えば、自分の住んでいる村や町、区などを対象に「愛し、忠誠を誓い、死をも辞せず」などと言う人はいません。それらが行政機構でしかないことを皆知っているからです。しかし、国家が対象となると、「愛し、忠誠を誓い、死をも辞せず」などと言う人が現れても、それが奇妙な振る舞いだと気付かないことがあります。

 国家への帰属意識は、実態が曖昧であるため成立しています。帰属対象である国家と、帰属しようとする自己意識の双方とも曖昧のまま、強い個人(実は国家に依存している)がそこにいるような錯覚として成立しています。

 しかし、極端な話ですが、日本という国家が滅んだとします。日本人はその時どうなるのでしょうか。日本という国家を懐かしがりつつ、国家から放り出された個人として生きていくしかありません。1945年にそれに近い状況になりました。

 国家を否定せよと言っているのではありません。国家は人間の社会・集団生活に必要な調整機構です。それだけです。この国家のかたちは、どこかから与えられるものではなく、我々が決めるものです。