望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

男はすたる

 「男は強くなければならない」とか「女は優しくなければならない」などの男女の性差による固定観念は、女性の社会進出が進むとともに、個人の自由な生き方や多様性を尊重することがますます重視されるようになった現代の世界で時代遅れの考えだとされる。そうした固定観念は根強いだろうが、おおっぴらに振り回すことは難しくなる。

 男女の性差による差異が消えたわけではないが、性差による差異に基づく役割分担は、ある時代の社会の価値観を反映したものであり、社会の変化とともに見直しを迫られる。例えば、強権支配によって人々が特定の価値観に従わざるを得ない社会から、自由選挙が実現し、人々の権利や自由が保障されている社会に移行したなら、固定観念は変わるだろう。

 そもそも固定観念は大雑把なものだろうし、ある時代の社会の反映でしかないとすると、固定観念は時代とともに変化する。また、固定観念には個人差が大きい。生きている社会環境は人それぞれで、何を男女の性差と認識するのかは個人により異なるだろうし、さらには性差と個人差を混同する人もあろう。男女の性差が何かを厳密に検証するには、先入観や思い込みなどを排除しなければならず簡単ではない。

 ただ固定観念は他者を批判したり、牽制するときに、自分の主張を正当化するために便利に持ち出される。たいして重んじていない固定観念であっても、誰かを批判するときに便利であれば活用する人もいる。固定観念の縛りは社会に従おうとする傾向が強い人々には強く作用するので、他者をおさえつけるための道具として固定観念は重宝される。

 固定観念ではないが、「男は廃(すた)る」ものであり、「女は腐る」ものであるとの持論を主張し続けている友人がいる。ダメな男もダメな女もいつか自滅していくが、自滅の仕方が、男は廃っていき、女は腐っていくのだと力説する。廃り方や腐り方は人それぞれだが、その時がくれば男は一気に廃り、女は時間をかけて腐っていくと友人。

 「男が廃る」という言葉は、男としての面目が立たないとの意味で使われる。男としての面目が立たないとは男に求められるものが実現できない状況で、男の面目には時代の固定観念が反映する。強い男が求められる時代には強くあることが男の面目になるが、時代とともに男に求められるものは変化するし、過剰な男らしさが忌避されることも時代によってはある。

 廃った男も腐った女も忘れられるが、消え去るのではなく、それぞれにしぶとく生きていくのだと友人。ただ、男も女も固定観念にただ従うだけでは廃りも腐りもしないだろうが、固定観念などに縛られず独自の生き方を貫くうちに、それぞれに自滅する人がいて、それで男は廃り、女は腐るのだと友人は力説する。でも、固定観念に縛られずに廃った男や腐った女には、熟れすぎた果物のような魅力があるのだと友人は言う。