望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

英霊になったか

 世界的に名を知られていた作家の三島由紀夫が死んだのは半世紀前の1970年11月25日だった。場所は東京・市谷の自衛隊駐屯地内の総監室。バルコニーで自衛隊員に向けて演説し、「今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望する」(檄から)と呼びかけたが、応じる隊員はいなかった。

 バルコニーから総監室に戻った三島由紀夫は、着ていた楯の会の制服のボタンをはずし、正座して短刀で真一文字に腹を切り、介錯されて死んだ。三島由紀夫の頭には「七生報國」と書かれた鉢巻が巻かれていたという。三島由紀夫なりに真剣に日本という国を憂えての行動であったのだろうが、頼りにした自衛隊員には背を向けられた。

 もし、自衛隊がクーデターを起こして権力を握ったとして、日本という国が三島由紀夫が考える理想通りになったかどうかは不明だ。クーデターに成功した軍は独自の判断で動く。それを指揮するのは軍を掌握した将校で、三島由紀夫ら外部の意向がどれほど反映されるのかは定かではない。

 さらに、クーデターに成功した軍を掌握することは国家権力を掌握することだが、軍を掌握した将校が例えば国民投票を経る手順を踏んだわけではなく、客観的な権力の正当性は希薄だから、強権的な統治に向かう。国家権力の正当性を主権者の選択に基礎付けることができないので、強権で押さえつけるしかなくなるのだ。

 これは、民族解放を掲げる武装勢力についても当てはまる。武装闘争で国家権力を掌握したとしても、その民族解放組織が主権者である人々の意向をどれだけ反映しているのかは不明だ。武力で国家権力を獲得した組織・人々には、その正当性に対して疑念がつきまとう。民族解放闘争を無邪気に正義だと断定するわけにはいかない。

 三島由紀夫の作品「英霊の声」では、二・二六事件で処刑された青年将校の神霊が霊眼をひらいた青年に乗り移って語る。現人神である天皇を慕い、君側の奸を斬った青年将校らの行動を天皇は慰撫し、「今よりのちは、朕親ら政務をとり、国の安泰を計るであろう」と言い、「その方たちこそ、まことの皇軍の兵士である」と青年将校らを称賛する。

 二・二六事件で処刑された青年将校三島由紀夫は英霊と位置付けたので、おそらく三島由紀夫自身も英霊になると想定しただろう。だが、一般に英霊は「戦死者の霊」を敬っていう言葉で、天皇の意向が働いて処刑された二・二六事件青年将校らが英霊とされることに同意する人々はそう多くはないかもしれない。三島由紀夫の霊も英霊と見なされるか定かではない。