望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





成長を目指さない

 成長を目指さない経済とは、どういうものだろうか。日本の高度成長は終わり、モーレツ社員も昔のハナシとなり、活力が失われた日本で、もう成長を目指さず、なにやら皆でのんびりと助け合って暮らしているイメージなのだろうか。あくせく働くよりはマシだと、つい共感しそうになるが、成長しない経済は悲惨なものだ。



 皆でのんびりと助け合って暮らす経済というのは、高齢化社会の日本には相応しいイメージなのかもしれないが……活力が感じられないビジョンだ。資産がある高齢者なら、のんびりと優雅に暮らしていくことができるだろうが、高齢者皆が資産を持っているわけではない。



 成長しない経済とは、例えば旧ソ連がそうだし、40年以前の中国がそうだ。現在でいうと北朝鮮がそうだ。でも北朝鮮では、人々が助け合って、のんびりと優雅に暮らしているようには見えない。



 GDPが縮小を続けている日本は、あまり成長しない経済を続けている。ただ日本は個人資産などの厚みが他国と桁違いなので、成長しない経済でも、のんびりとやって行けているように見える。でも、金利がチョー低水準なので、利子で食っていくことはできず、徐々に資産を食いつぶしていく。4、5%に預金金利を維持できる経済だったら、厚い個人資産などをもっと生かすことができただろうに。



 成長しない経済が悲惨になるのは、人間に欲があるからだ。成長している経済なら、分配の「パイ」が大きくなるので、多くの人の収入が増える。成長しない経済では人は、聖人君子だけで成り立っている社会は地上にはないだろうから、限られた「パイ」を巡って争う。



 成長をしたことがない経済、例えば、商品経済が少々入っているぐらいで第1次産業でほぼ自給自足してきた経済ならば「足るを知る」のかもしれず、成長しない経済でも容認されるだろう。だが、日本のように成長を経験した経済では「豊かになるを知った」のであり、成長しない経済によるキシミが生じる。



 成長しない経済では何が起きるか。成長しないジリ貧の企業を例にすると、皆の給料が頭打ちとなり、その中で「内勤より、売り上げに貢献している外勤の手当を高くしろ」「○○よりオレのほうが働いている」などと様々な理由を付けた能力給の要求が社員から出てきたりする。



 そうした声を経営陣は利用して、そのうちに、ヤル気を刺激し、活性化を促すと称する社内改革が断行され、意欲・行動力がある人を優遇するという給与体系が導入される。実際は、給与支払いの総額を体よく縮小していたりするのだが……。