望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





普天間と賢者と奴隷

 中国の作家、魯迅の作品に「賢者と馬鹿と奴隷」がある。短い作品だが、含蓄に富んでいて、賢者と馬鹿と奴隷をそれぞれ、さまざまなものに当てはめて考えることができる。あらすじは、こうだ。



 あるところに、人を見つけては不平を言っている奴隷がいた。賢者に出会い、「朝早くから夜遅くまで、ご主人のために働きづめだ。部屋には窓さえない」と言うと、賢人は同情して「気の毒にな。しかしきっと、いつかよくなるよ」と慰めた。話を聞いてもらって、励ましてもらって奴隷は喜んだ。そしてまた、不平を言い出すことの繰り返し。



 ある日、奴隷は馬鹿を見つけ、いつものように不平を言った。すると馬鹿は「主人に言って、窓を開けてもらえ」、奴隷は「そんなことを言ったら、ご主人に怒られる」、それを聞いた馬鹿は「じゃ、俺が開けてやる」と言って、奴隷の小屋に行き、壁を壊し始めた。奴隷は大慌てで、仲間を呼び、馬鹿を追い出した。



 賢者を見つけた奴隷は、「ひどい目に遭いました。でも、小屋を守ったのでご主人に誉められました」というと、賢者は「よかったね」と言って、共に喜んだ。



 さて、主人=アメリカとはすぐに思いつくが、ほかの3人は誰に当てはめればいいか。馬鹿=鳩山(成算もなく普天間移転を打ち出した当時の首相)かと思うが、彼は自分で壁に窓を開けようとはしなかった。口先ばかりで、自力で壁に穴をあけようとする行動力がなかった。堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業を、しようとしなかった。



 奴隷=沖縄県民か。しかし、主人=アメリカだとすると、奴隷=日本国民ともいえる。対米関係でいつも不平を言っているが、21世紀の日米安保像を探ろうともせず、現状を自力で変えようとしない。平和になるように一生懸命祈っていれば平和になる……なんてことはないのに。主人の機嫌を損ねず、奴隷が奴隷のままでいることができて、よかった?



 賢者=マスコミか。不平を聞いてあげて、「気の毒にな。しかしきっと、いつかよくなるよ」と可哀想な沖縄県人に同情してみせる。沖縄には在日米軍基地の75%が集中しているそうだが、マスコミの同情の75%も沖縄に集中しているかも。正義をふりかざしたマスコミが、何を言っても現状は変わらないというのも、賢者=マスコミ説に有利だ。