望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「ルーピー」考


 好き嫌いや主義主張の違いはあっても、日本の議会で選出した首相に対するそれなりの敬意は、国会議員なら誰でも持っていると思っていたが、実態は違うようだ。2010年のの参院本会議で鳩山由紀夫首相(当時)に野党議員が「ルーピー」とヤジを飛ばした。



 子供の喧嘩じゃあるまいに。相手の人格を否定するようなヤジ(発言)は、そんな言葉を発した当人の理性を疑わせる。議論から派生したヤジは、相手の言ったことへの反論であるはずだ。国会中継をまともに聞いたことがないが、日本の議会でのヤジはひどいとも聞く。そうした中でも「ルーピー」とのヤジがマスコミに取り上げられたのは、一線を越えたからか。



 「ルーピー」のネタ元は米紙ワシントン・ポスト。同年4月の核安全保障サミット後に1人のコラムニストが各国首脳を採点するコラムを書き、その中で鳩山首相について loopy との言葉を使い、それを日本のマスコミが「愚か」などと訳して報じた。コラムニストは後から、「ルーピーは、現実から変に遊離した人」の意だと釈明したそうだ。



 鳩山氏が「ルーピー」であるかどうかは知らないが、日本のマスコミが米紙コラムの「ルーピー」との言葉を日本で面白おかしく取り上げたのは事実だ。傍からは、見苦しいとさえ思える日本のマスコミのヒステリックな鳩山・小沢批判(叩き)に、「ルーピー」はいい材料を提供した?



 同業者である日本のマスコミに、米紙のコラムに対する批判がなかったわけではない。「ルーピー」の言葉の真意を探ろうとしたり、「ルーピー」の訳のあれこれを検証したりし、コラムニストの日本理解・日本観を疑ったり、米の日米関係筋なるものが「ルーピー」の語を悔しがったと伝えた。



 日本のマスコミは理性的に対応したと言いたいところだが、扱いは、米紙の「ルーピー」コラムの紹介の方が大きかった。コラムニストは人それぞれ。偏った見方のコラムニストもいるので、米紙のコラムニストがどういう人物なのか、どういう立場なのかの検証が必要だが……なかった。1コラムニストの書いたものを日本のマスコミが大きく報じたのは、米国コンプレックスが日本のジャーナリズムにも存在すると皮肉りたくなる。



 米紙のコラムニストは、日本は米国の核の傘の下で軍事費が少なくて済み、何十億ドルも節約したとも書いているそうだ。そうした見方が米国人の一般的な理解なのかどうかは知らないが、その点について日本で議論にはならなかったので、違和感があまりないようだ。しかしね、日本は米国の情けにすがって、核の傘の下に入れてもらったわけじゃ、あるまいに。日本に米軍基地があることによる恩恵は、日本、米国、どちらの方が大きいのか、検証が必要だな。



 日本の首相とは哀れな存在だ。同じ議会人から「ルーピー」とやじられ、マスコミからは米紙を引用して揶揄される。日本人は、金回りが良かったバブルの頃はおごり高ぶっていたが、金の切れ目がモラルの切れ目、本当は、人間としてのプライドが希薄なんじゃないかと疑問がわく。いや、単に他人の人格に対する敬意を軽視する人々なんだという見方もある。