望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





除染からクーデター

 20XX年、茨城沖で発生した大きな地震によって、2011年の東日本大震災で損傷した福島第一原発の原子炉建屋が甚大な被害を被った。幸いに核燃料が大気に露出したり、飛散する事態は避けることができたが、建屋などに残っていた大量の放射性物資が大気中に放出され、東京にも飛来した。



 やがて霞ヶ関や赤坂、銀座などを含めて都内各地に高濃度のホットスポットが出現した。「直ちに人体に影響はない。落ち着いた対応を」と政府は呼びかけたが、不安は静まらなかった。まず各国大使館が東京から離れ、在京外国人も東京を離れ、企業にも緊急対策として東京から移転するところが現れた。人々も続々と東京を離れ始めた。



 「東京から移転する必要はない」とした政府方針により、東京を離れることができなかった霞ヶ関の官僚と、開期中の国会を離れることができない議員は政府に「早急な除染を」と強く求めた。これを受け政府は、東京の除染を最優先して早急に行うことを決め、自衛隊を4万人動員して、まず都心から除染作業を始めさせた。



 出動命令を受けて都心各地に展開した自衛隊は日中は除染作業を行い、夜間は各省庁の講堂等のほか、日比谷公園などにテントを設営して宿泊した。除染作業を始めて5日目の明け方、自動小銃などで武装した自衛隊の2万2千人が動き、総理官邸、各省庁、警察庁、携帯電話会社、放送局、新聞社などを占拠した。すべての電話が不通となり、テレビ、ラジオも停波し、新聞は届かなくなり、インターネットは遮断された。



 やがてNHKだけが放送を再開し、幹部自衛官が画面に現れ、「日本が未曾有の災害に見舞われている時に、政治家や官僚は東京で、くだらない小さなことや利権で争っているばかりだ。これでは日本が滅ぶ!」と叫び、「日本を救うために我々は立ち上がった」とクーデターを宣言した。彼らは憲法を停止し、国会を閉会させ、救国臨時内閣を組織した。



 ーー2.26事件の背後には、貧苦に苦しむ東北の人々の惨状があった。3.11以降の「惨状」とダブらせるには無理があろうが、こうも閉塞感が蔓延すると、行き着く先は怒りによる行動か?と想像してみました。