望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

西洋という未来

 明治の頃の日本人にとって「西洋というのは外国というものじゃなくて、未来なんだよね、彼らにとっては」と中村真一郎氏(加藤周一氏との対談から=『加藤周一対話集①』。以下同)。鎖国を破られ西洋列強のアジア進出に直面した当時の日本政府は近代化を急いだ。近代化の具体例が西洋であり、近代化とは西洋化であった。それは西洋以外の諸国の近代化に共通する。

 そもそも当時の日本や日本人に独自の近代化の構想や思想があったなら、幕末に西洋に接した時に、西洋の近代化モデルを相対的に見て、利用できるものは取り入れるにとどめただろう。しかし、西洋と接してから日本や日本人は、西洋をモデルに近代化の必要性と近代化が急務であることを認識した。具体的な独自の構想や思想がないのだから日本は、西洋を近代化のモデルとし、日本の進むべき具体的な目標=未来とした。

 対談で中村氏の言葉を受けて加藤氏は、明治になって出てきた具体的な問題を「解決するのにいきなり『西洋』ということになった。しかし、西洋のどの面をということは、それほど総合的に考えたわけじゃなくて、ある特殊な面でそこへ直接行くわけですよ。だから、西洋から何を学ぶか、あるいは取るかという目的が、行く前から、接触する前からはっきりしていて、それを見つければ取るし、見つけなければよす、というふうに、はっきりしていたと思う。脇目もふらない、という感じがする」。

 さらに中村氏は「西洋というのは、未来像なんです。ロンドンでも、パリでも。だから、電燈を引きます、鉄道を敷きます、銀行をつくります、軍隊をつくりますと、そういうことはいい、悪い、国情に合う、合わないの問題じゃなくて、それをできるだけ早くやるというだけの話です。西洋との関係は、とても明快だと思うな。つまり単なる未来だよ。そして到達すべき未来」と続けた。

 近代化を着実に進め、西洋と同じような社会を構築して久しい日本だが、日本人にはなお西洋崇拝や西洋コンプレックスがあると言われたりする。今なお世界に対する大きな影響力を有する西洋に対する引け目や憧れは根強いとも見えるが、かつて近代化のモデルとして理想化された西洋に対する意識が受け継がれているのかもしれない。

 技術や経済などで日本が西洋に先んじることが珍しくなく、食など日本の独自の文化が西洋でも共有されるようになった現在、西洋をモデルとして「倣う」近代化の段階を日本は脱した。しかし、なお残る西洋崇拝や西洋コンプレックスは、近代化のトラウマかもしれない。そこには、西洋をモデルとすることが当然とされた過去の日本に対する愛着なども含まれているだろう。

 トラウマには、具体的な独自の近代化の構想や思想が希薄で、西洋を真似ることを続けたことに対する心理的な反発も関係している。そうした反発が過剰になると偏狭な日本礼賛になったりするが、日本を礼賛したところで具体的な独自の21世紀の「近代化」の道筋が見えてくるわけでもない。西洋崇拝や西洋コンプレックスは、日本や日本人に独自の構想や思想がなお希薄であることの反映である。