望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり




浅草紅団

 昭和初期の浅草……瓢箪池があり、軽演劇のカジノ・フォウリーや活動写真館があり、東武鉄道の鉄橋は架橋中で河岸の隅田公園は工事中だった。円タクが走り、よいとまけの一団や浮浪人、小商い、救世軍、ズブ、ゴウカイヤ、グレ、猫取りなど様々な人間がひしめき、軋み合うように暮らしていた。



 そんな浅草を舞台に、当時の風俗、世相を織り交ぜながら、小説世界を描き上げようと試みたのが川端康成の「浅草紅団」だ。この作品は昭和4年12月から同5年2月にかけて東京朝日新聞に連載され、新聞連載の続きが「改造」同5年9月号に発表された。作者30歳のころの作品。ちなみに「伊豆の踊り子」は大正15年、「掌の小説」は大正10年から昭和初年にかけて、「雪国」は昭和10年に発表されている。



 この作品は、川端作品の中では異色と言っていい。練り上げた文章で小説世界を構築するのではなく、当時の浅草で川端が見聞きしたものや感じたことを思いつくままに書き連ねながら、そこに弓子を中心とする小説世界を織り込もうとしたような印象だ。町の地理が詳しく綴られ、レヴュウの様子が記録され、関東大震災時の惨状が引用される。時には川端が読者に語りかけたりもする。



 ルポルタージュと小説の合体を目指した試みといえなくもないが、ルポとしても小説としても中途半端なままで終わった。川端本人も後に失敗作としたそうだが、当時の浅草の活気、エネルギー、まがまがしさみたいなものは伝えているので、面白いことも確かだ。書き飛ばした草稿との趣もあるので、もっと手を入れたものを読みたかった気もするが、手を入れたなら、おそらく小説世界の比重が高まっただろうから、別種の作品になっただろう。



 現実の世界に向き合って、ルポしつつ、それを小説世界につなげて行くというのは面白そうに見える。時代設定や状況設定、人間関係など現実世界のものを借りて、そこに小説の主人公を置くだけなので簡単そうだが、時代や状況や人間関係などを広く理解することが前提条件だ。歴史小説を書く作家は膨大な資料を集めて読み込むそうだから、現代の世界を書く作家も、そうしたインプットが必要だろう。



 浅草は衰退したが、現代の都会にも、雑多な人々が集まり、夜な夜なうごめく妖しい地区はあるから、現代版の「浅草紅団」は可能だろう。ただ、例えば新宿にしても六本木にしても渋谷にしても、昔より裕福な人が増え、人々も町も小綺麗になりすぎ、清潔になりすぎた感もあるので、古の浅草を舞台にした紅団とはずいぶん印象が変わったものになりそうだ。