望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

孤独な死

 死後の世界のことは、生きている人間には分からない。手がかりは何もないのだから、想像をたくましくして考えるしかない。各宗教にはそれぞれの来世観があり様々だ。中には、絶対的な神が存在していて、人間の現世での行動・生き方を裁くので、誰もが“天国”に行けるものではないというものもある。神を信じない人が、死んでから神に初対面しても戸惑うだけだろうな。



 この人は、どうしているのだろうか。2012年に札幌で1人暮らしの59歳の男性が、死後3、4カ月して発見された。電気や水道が止まり、食料品もなく、ベッドに横たわったまま息絶えたらしい。財布の中には旧百円札が1枚あっただけという。発見された時にはミイラ化しており、餓死の可能性もあるという。



 この人がどんな人生を生きたのか、なぜ孤立死を選んだのか(選ばざるを得なかった?)、どんな思いで最後の数カ月、最後の数日を生きたのか……面識もなく名前も知らない人なので何も分からないが、いろいろな物語が立ち上がって来る気がする。この人は天国に行けるのだろうか、それとも天国なんか存在せず、ひっそりと骨になって、どこかに落ち着くのか。



 この人は行政に生活保護の相談はしていなかったというから、孤立死を選んだのかもしれない。覚悟を決めてのことか、全てをあきらめてのことかは分からないが、1人で死んだ。想像するしかないが、病気などで体が弱っていたのならともかく、動くことができるのに餓死するには強い精神力が必要だろう。その場合には、死への執念と見るべきなのか。



 餓死による孤立死の記事が散見されるようになった気がする。病気などによる孤立死は以前からあったのだろうが、餓死による孤立死には悲惨さが増している印象がある。それは、餓死による孤立死を知った多くの人が、窮状を知っていれば、食べ物は持って行ってやったのに……との無念さをどこかで感じるからかもしれない。



 この人はなぜ、餓死による孤立死を選んだのか。この人にとって国家や社会、さらには家族、友人などはどんな存在で、どんな意味を持っていたのか。死後の世界があり、この人がどこかにいるのなら、何を考え、何を見たのか、今はどう思っているのか話を聞きたいものだ。