望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「泣ける」が勝ち

 「3倍泣けます」というキャッチ・コピーの映画があった。三益愛子が主演の母もの映画で、1948年から10年間に31作品が作られたというから、けっこうな観客動員があったようだ。日本映画専門チャンネルの解説によると「様々な事情から幼い我が子を手放した母親が後に再会を果たすが、我が身を恥じて身を引こうとする。または、自分の子ではない子どもを育ててきた育ての母の前に突然、実の母が現れる。曲折を経ながらも、最後は母と子が抱き合いながら親子の情愛にむせび泣く。そうした母子の感極まるストーリー」だったという。



 泣ける映画は昔から観客にウケていたようだが、大人気だった三益愛子の母もの映画を今観て誰もが泣けるとは限らない。というのは、泣けるポイントは時代により変化するからだ。例えば、忠義のためと我が身を犠牲にする侍の心情に共感できる人は今は少ないだろうし、愛国のために「死のう」と決意する兵らの心情も、遠いものになったかもしれない。



 泣けると話題になったのが「レ・ミゼラブル」だ。ミュージカル映画では過去最高の興行収入になったとか(例えば、1950年代よりも映画料金が上がっているので当たり前か)。観客は、涙が止まらなくなったり、号泣したりと様々な泣き方をしているらしい。



 この映画はミュージカルだが、踊りはない。同時録音したという歌唱は、華やかにうたいあげるという趣ではなく、口ずさむ歌を聴いているような印象。往年の豪華なハリウッド・ミュージカルのような明るさ、楽しさとは無縁で、フレッド・アステアのような出てくるだけで場面を輝かせるスターもいない。



 原作は仏作家ヴィクトル・ユゴーの「ああ無常」。19世紀のフランスは過酷な社会だったようで、その中で、改心して、人間を愛し、助け合いながら生きようとするジャン・バルジャンは、ジャベール警部に執拗に追われながらも、幼いコゼットを育てあげる。やがて、パリの下町で革命を志す学生らが蜂起する。



 この映画で泣けたという人のコメントを見ると、いろいろな場面で、泣き始めている。感情移入が成立したところから観客は映画に没入し、出演者が表現する感情を共有するようになる。だから、出演者が辛いと観客も辛く感じ、出演者が泣くと観客も泣き、出演者が笑うと観客も笑う。



 感情の相互交流が確立すると、観客は映画の登場人物の体験を追体験する。それは、観客をしばし日常から離れさせ、大笑いであろうと、はらはらドキドキであろうと、号泣であろうと観客の心をリフレッシュさせる。だから、泣ける映画は昔から人気があるのかもしれない。