望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

増殖する言葉

 「よりそう」という言葉が増殖している。悲しむ人々や苦しむ人々の悲しみや苦しみに共鳴・共感しつつ見守り、時には励ましたりすることを意味しているようだ。よりそう行為は具体的ではなく、災害の被災者や事故などの被害者に同情し、精神的に支えるなど主に直接的な支援以外の働きかけを指して使われている。

 漢字を混えた「寄り添う」の本来の意味は「相手のからだに触れんばかりに近くに寄る」「ぴったりとそばへ寄る」で、「寄る」プラス「添う」だ。本来の意味での寄り添う行為は、ボランティアや募金活動などを行って被災者や被害者を具体的に支援することだろうが、よりそうは「寄る」ことよりも「添う」ことに重心が置かれ、忘れないとのメッセージの色が濃い。

 よりそうためには対象が必要だが、誰でもいいわけではない。寄り添う相手は自分が興味・関心を持った近くの対象だが、よりそう相手は、距離を隔てて存在する災害の被災者や事故などの被害者で、直接的な支援を行うことが容易ではない対象だ。被災者や被害者は同情される対象でもあり、人々の自然な同情心が刺激されて、よりそうことになる。

 被災者が被災者によりそうのではなく、被害者が被害者によりそうのでもなく、被災者や被害者に平穏な日常生活を続けている人がよりそうという構図。よりそうには、同情するが傍観している気配も漂う。被災者や被害者の間では、寄り添って助け合い支え合うのだろうが、よりそう側と、よりそわれる側には互いに助け合い支え合う関係はない。

 よりそうと似た言葉に連帯があるが、連帯はもっと積極的な精神的支援の意思表示であり、不正義による犠牲があったりすると時にはデモなどとなって現れ、連帯の対象は自国にとどまらず、国際的な動きとなったりもする。よりそうの対象は日本国内に限られ、被災者や被害者の窮状が伝えられても、よりそう人々がデモなどを行うことはない。

 よりそうと、寄り添う。ひらがな表記にすることでソフトな感触になり、直接的な接触感が薄れる。テレビ画面で被災者や被害者を見ながら同情している心境にふさわしい表現だ。同じく増植する「ふれあい」とも共通する距離を置いた間接的な接触感は、濃密な対人関係を好まない風潮の反映かもしれない。

 だが、よりそうことは悪いことではない。次々に自然災害や事件・事故が発生するのだから被災者や被害者も次々に増え、直接的に支援できる対象は限られる。被災者や被害者に無関心ではいられない人々が被災者や被害者に「よりそう」ことしかできなかったとしても、被災者や被害者の社会的な孤立感を薄めることはできよう。