望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

被害者感情の持続

 国会で与野党が鋭く対立する法案が、ある。対立の根にあるものは各政党の政策の違いのはずだが、主張が似通っている政党なのに賛否が対立する場合も珍しくはない。そうした場合には法案に、支援団体の利害が絡んでいたりする。支援団体がヘソを曲げると次の選挙にも関わりかねないだけに各政党、議員は懸命にならざるを得ない。



 イデオロギー対立が盛んだったころにも与野党は鋭く対立した。イデオロギー対立が絡む法案で、反対する側が持ち出す言葉が、その法案が成立すれば日本社会は「戦前のようになる」だった。その言葉が真実なら、イデオロギー対立が絡んだ法案はけっこう成立しているので、日本はとっくに戦前のようになっているはずだが。



 2013年の特定秘密保護法案に関して久々に「戦前のようになる」の言葉が持ち出された。この法案は、日本をオープンな社会にするためには役立たず、官僚の権限を強める効果が大きいようで、「政府が持つ情報は公開する」を基本に見直す必要があるが、強行採決で成立した。



 今度こそ「戦前のように」なってしまうかといえば、おそらく違うだろう。「戦前」のイメージは個人によりバラバラで、「戦前」の意味するものは幅広い。警句として「戦前」を持ち出す人は、強権による抑圧社会をイメージし、被害者感情を増幅させるのだろうが、現在の日本で人々に被害者感情が広まれば、与党は選挙で敗北するだけだ。



 不思議なのは、「戦前」を持ち出して被害者感情を増幅させる人々が、法案が成立した後は反対運動を続けないことだ。戦前のような社会にしてはならないと考えるなら、そうした法案が成立した後は、法案の修正や廃案を目指す運動に変化するのが当然だろうが、掛け声だけで、反対運動はいつしか消えてしまう。反対した人々は、そうして被害者感情を蓄積していくのかな。



 結果的に、「戦前のようになる」との反対を押し切って、対立のある法案を成立させれば、それが定着することになる。これは、既存の法律の見直しをする議会の機能が弱いことと、与党の実力者が政府を構成するために、議会より政府のほうが強いという議院内閣制の弱点が重なっているのだろう。



 さらにいうなら、規範を守ろうという意識が日本人には強く、それが法治意識に結びついて、“悪法”でも成立したならば尊重する(?)結果になっているのかもしれない。本当に悪法なら変えなくてはならない。変えるためには、選挙で与野党を逆転させ、政権交代をさせるしかない。しかし、簡単には政権交代は実現しない……だから、被害者意識を持ち続けるのか。